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デボーション

詩篇 108篇

勝利のために神に信頼する

詩篇 108篇には、ダビデの家系から出て、悪と死の力を打ち破り、今は聖霊を通してご自分の民と共に働きながら平和の国を広げておられる王、イエスの姿が示されています。

何が起こっているのでしょうか

詩篇 108篇、109篇、110篇は三部作をなし、神がイスラエルの決定的な王ダビデを通して、約束された神の国を地上に建て上げてくださる物語を語っています(サムエル記Ⅱ 7:16)。その始まりである108篇は、王としてのダビデの役割に光を当てます。王であるダビデは、悪の帝国を治め、神の平和の国を広げる務めを担っています。イスラエルの王国は今、敵国に取り囲まれていますが、ダビデは、神がご自分と共に働き、この国に平和をもたらしてくださると確信しているのです。

やがて訪れる勝利へのダビデの確信は、自分の力にではなく、神ご自身のご性質に根ざしています(詩篇 108:4)。神が自分と自分の民を限りなく愛しておられることを、ダビデは知っています。神がご自分のことばに対してどこまでも誠実であることも知っています。そして神が、ダビデ自身の王家の血筋を通してこの平和の国を建て上げると約束してくださったことも知っています(サムエル記Ⅱ 7:12〜13)。戦いの中で敵に囲まれながらも、ダビデは自軍の兵士たちと迫り来る敵軍の前で神を賛美します(詩篇 108:1〜3)。尽きることのない愛と限りない誠実さという神のご性質こそが、神がご自分の民を救い出し、平和の国を建て上げてくださる保証なのです(詩篇 108:5〜6)。 

神が約束された王の確かさは、神の愛と誠実さだけでなく、その力と神聖さにも根ざしています。神は力に満ちた聖いお方であり、ほかのどんな者とも比べようのない仕方で治める王です。天にある聖い聖所から、すべての国々と勢力の上に君臨しておられます(詩篇 108:7a)。イスラエルが東で最初に占領した地から始まり、西にある首都の中心へと目を移しながら、ダビデは、シェケムからユダに至るまでイスラエルの王国のすみずみを神が治めておられると宣言します(詩篇 108:7b-8)。さらに神は、イスラエルのかつての敵、今の敵であるモアブ、エドム、ペリシテをも治めておられます。ダビデは、神がまるで家の主人のようにこれらの国々へ入って行かれる姿を描きます。モアブという洗面台で手を洗い、エドムという片隅で靴を脱ぎ捨て、ペリシテという居間で「わが家はいいものだ」と声を上げられるのです(詩篇 108:9)。 

神の愛の誠実さと神の力の神聖さゆえに、ダビデは、イスラエルはこのような神と共に働くときにのみ成功できると告白します。どれほど人の軍勢をかき集めても、混沌としたエドムの城壁に囲まれた町々を攻め落とすことはできません(詩篇 108:10)。もし神がダビデと民と共に働いてくださらなければ、彼らは敵国の力の下で滅びるほかありません(詩篇 108:11〜12)。だからこそダビデは祈るのです。神と共にあるときにだけ、敵を治め、神の平和の国をもたらすことができると知っているからです(詩篇 108:13)。 

福音はどこにあるのでしょうか 

人間のどんな力も、悪のすべての勢いを抑え込み、神の平和の国をこの世界にもたらすことはできません。神の支配が天の聖い聖所から、壊れ、乏しいこの地上へと及ぶのは、ダビデの家系から出る王を通して働くという神の約束によるほかないのです。だからこそ、神の誠実さ、愛、そして聖い力は、これほどまでに良い知らせなのです。どれほど多くの悪しき国々がこの世界に満ちていても、神は約束を守るという決意を一度も揺るがせにはなさいませんでした。イエスのうちに、神が聖い力を愛をもって用い、平和の国を私たちのもとにもたらそうと、どれほど誠実に心を注いでおられるかが見えてきます。

イエスは、神がダビデに与えられた約束の誠実な成就です。神の子として、イエスは天の王であり、ダビデ王の子孫として、地の王でもあられます。地上の生涯において、イエスは病、霊的な諸力、腐敗した宗教的支配を打ち破ることによって、人類の敵の悪と力を治められました(ルカの福音書 6:6〜10)。イエスは愛するご自分の民を、敵対する勢力の支配から解き放ち、共に働いて平和の国を広げる道を教えてくださいました(ルカの福音書 8:26〜39)。 

そしてイエスは、ダビデ王がこの詩篇を書いたときに置かれていたのと同じ状況の中に、身を置かれました。ダビデは、神が敵を打ち破るために共に働くと約束してくださっていたにもかかわらず、敵国の手による敗北に直面していました。イエスは、悪しき国々の手にかかって、死という究極の敵に直面されました。けれども、ダビデが敗北のただ中で神の誠実な愛と聖い支配に信頼したように、イエスもそうされたのです(ヨハネの福音書 14:30〜31)。そして死者の中からの復活によって、イエスは、測り知れない神の愛と限りない誠実さへの信頼が決して根拠のないものではないことを示してくださいました。 

イエスは私たちの敵を打ち破られました。十字架の上で、きよめの血という洗盤の中に罪を洗い流し(ヨハネの手紙Ⅰ 1:7)、復活によって、死の頭に履き物を投げつけ、これを踏み砕いて打ち負かされました(使徒の働き 2:24)。そして昇天によって、敵のすべての領域を取り戻し、まるで「わが家はいいものだ」と言われるかのようでした。今、最も高い王座に着く王として、イエスは聖霊を通してご自分の民と共に働き、敵の領域を征服し、平和の国を広げておられます(使徒の働き 1:8)。 

人間のどんな力も努力も、悪を押し返し、神の平和を広げることはできません。けれども、イエスに信頼し、イエスと共に働くとき、私たちもダビデのように、その国が決して滅びることはないと歌うことができるのではないでしょうか。 

自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、ご自分の民の間に平和の国を建て上げようと心を注いでおられる神を見ることができますよう祈ります。そして、悪と死の力を打ち破り、私たちに平和をもたらしてくださった王として、イエスを仰ぐことができますように。

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