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デボーション

詩篇 143篇

神の善さによって救い出される

詩篇143篇には、ご自身の善さゆえに私たちを救い出し、義のうちに訓練して、その平和を世に運ぶ者としてくださる王イエスの姿が描かれています。

何が起こっているのでしょうか

詩篇143篇は、王ダビデが必死に救いを求めて叫ぶ祈りです。神は、選ばれた僕ダビデを通して一つの王国を建てるという契約を結んでくださいました。それは義と平和、そしてすべての国々への祝福を特徴とする王国でした(サムエル記Ⅱ 7:8〜16)。ところが、ダビデが今置かれている現実は、その約束とは似ても似つきません。敵は勝ち誇り、彼は死の淵に立たされています(詩篇 143:3)。ダビデの治世を通して神が約束された世界は、闇に飲み込まれてしまったように感じられるのです。そこでダビデは救いを求めて祈ります。神の僕である王として、自分の運命は民の運命と結びついていることを知っていたからです。彼が倒れれば、義の王国という民の希望も共に倒れてしまいます。

追い詰められたダビデは、ただ一つの希望——神の約束と、僕に対する神の善さ——にしがみつきます。彼は、民にさばきを下さないでくださいと神に願います(詩篇 143:2)。むしろ、自分の祈りに答えてくださいと乞い求めるのですが、その根拠はダビデが良い者だからではなく、神が良い方だからです。彼は神ご自身の慈悲、誠実、義に訴えるのです。もし神の約束がダビデの善さにかかっているのなら、その約束はことごとく破綻してしまうでしょう。しかし神は、僕たちがふさわしくないのに、それにふさわしくない恵みをもって扱ってくださるほどに慈悲深く、僕たちが約束を破っても自らの約束を守り通すほどに誠実で、愛するこの世界を正しい秩序へと回復させてくださるほどに公正な方ですから、その僕の祈りは必ず答えられるのです(詩篇 143:1)。ですから神は、ご自身の名のために民を救い出す行動を起こし、ご自分が誠実で公正な方であることを示してくださいます(詩篇 143:11)。 

絶望したくなるような状況の中でも、ダビデは僕を救ってくださる神を呼び続ける道を選びます(詩篇 143:6)。彼は、過去に神がどれほど誠実であられたかを思い起こします(詩篇 143:4〜5)。神はイスラエルをエジプトから救い出すと約束し、その通りにしてくださいました。僕たちを約束​の​地へ導き入れると約束し、その通りにしてくださいました。過去にイスラエルへの約束を守られた神は、今ここでダビデへの約束も必ず守ってくださるのです。

究極的に、ダビデが願っているのは敵からの救出だけではありません。敵のやり方そのものからの救いです。ダビデは悪の中から移されることだけを望んでいるのではなく、善へと変えられることを望んでいます。つまり、自分の統治が神の統治を映し出すような王になりたいのです(詩篇 143:8〜9)。ダビデは、神の善さを映し出す王国を築けるように、神ご自身の霊が自分を教え導いてくださることを求めています。悪が人々を闇へ引きずり込むことなく、平和と義が地をならして、すべての人が公平の中で生きられる王国を慕っているのです(詩篇 143:10)。そこで彼は再び、誠実な愛のうちに行動してくださいと神に願います(詩篇 143:12)。神はこの世界を、その民を、そして僕である王を愛しておられるからこそ、死と闇という悪を広げる敵の手から彼らを救い出してくださるのです。

福音はどこにあるのでしょうか

ダビデから何世代も後、イスラエルの王国は敵に打ち砕かれ、追放の中で死と闇に引き渡されました。自分たちの地に帰った後も、なお闇が支配していました。外国の支配者たちのもとで、彼らは不正と死によって虐げられたのです。彼らは、神が救い出し、回復させ、ご自身の道を歩むように教えてくださることを慕い求めました。必要だったのは、新しい僕なる王——その方が敵に勝利することが、王国全体の勝利となるような王でした。そして、その僕なる王として来られたのがイエスです。

イエスは、ダビデの祈りに対する神の究極の答えです。なぜなら、イエスは神の約束のすべてを成就される方だからです。イエスは、神の名と品性が、どこまでも慈悲深く、誠実で、公正であることを示してくださいます。イエスがご自身の善さゆえに民を救い出しに来られたのは、全世界がありのままの主を——破られることのない愛に満ちた方として——見るためです(ローマ人への手紙 5:8、ヨハネの福音書 17:20〜23)。

王であるイエスは、闇と死の中にいる民のもとに来てくださいます。ダビデと同じように、イエスも神の品性に自らをゆだね、神がご自分の王を敵の手から救い出してくださると確信しておられました(ルカの福音書 23:46)。そして神は答えられます。変わることのない愛のうちに、神はイエスを死からよみがえらせ、ご自分の僕を救い出す誠実で公正な神であることを証明されたのです(使徒の働き 13:32〜37)。

今、よみがえられたイエスは、永遠の王として治めておられます。ダビデへの神の約束の成就です。その復活は、イエス個人の名誉回復にとどまりません。それは王国の復活なのです。その民である私たちも、イエスと共によみがえらされ、悪と死と闇という敵から救い出されています(コリント人への手紙Ⅰ 15:20〜22)。

イエスは、敵の支配から私たちを解き放つだけでなく、敵のやり方からも自由にしてくださいます。闇の王国から移してくださるだけでなく、光の王国の市民へと私たちを造り変えてくださるのです(コロサイ人への手紙 1:11〜14、ペテロの手紙Ⅰ 2:9)。聖霊は、イエスのように慈悲深く、誠実で、公正であることを私たちに教えてくださいます。全世界が神のまことの品性を見ることができるようにです(ガラテヤ人への手紙 5:22〜23)。イエスは今、ダビデが祈り求めたあの平和な、地のならされた王国——正しくされた世界——を築いておられます。主は私たちを救い出し、義のうちに訓練し、やがてすべての悪を打ち破って、全地をその平和の王国で満たしてくださるのです。

ご自身の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、私たちの善さではなくご自身の善さゆえに民を救い出される神を見ることができますようにと祈ります。そして、その平和を世に運ぶ者となるように私たちを義のうちに訓練してくださる王イエスを、見ることができますように。

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