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詩篇144篇

神はご自身の民のために戦われる

詩篇144篇には、死を無力にし、悪の力から私たちを解放し、ご自身とともに永遠に栄える地へと導いてくださるイエスの姿が示されています。

何が起こっているのでしょうか

詩篇144篇は、イスラエルの敵との、人には勝ち目のない戦いを神が戦ってくださるようにと求める祈りです。この詩篇は、詩篇18篇を響かせ、凝縮したものです。詩篇18篇は、邪悪な国とその邪悪な神々を打ち破った後にダビデが歌った勝利の賛歌でした(サムエル記Ⅱ 22章)。ダビデが率いた軍勢は圧倒的に劣勢でしたが、あらゆる予想を覆して勝利しました。勝てたのは、神ご自身がイスラエルのために戦われたからです。詩篇144篇では、新しい世代がこのダビデの歌を受け継いでいます。追放と帰還を経てもなお、イスラエルは敵国に囲まれていました。そこで彼らは、ダビデの古い歌を、救いを求める新しい祈りとして歌うのです。

彼らはダビデと同じところから歌い始めます。神こそが唯一の希望であると告白するのです(詩篇 144:1a)。勝ち目のない戦いでの勝利は、神が彼らのために戦ってくださるからこそ与えられます(詩篇 144:1b)。安全もまた、神が要塞のようにかくまってくださるからこそ得られるものです(詩篇 144:2)。自分たちの力に頼るのではなく、イスラエルは自らの必要と弱さを言い表します。彼らは、煙のようにたちまち消え去る人間にすぎません(詩篇 144:4)。それでも、全宇宙を治める神が、彼らのために立ち上がってくださるのです(詩篇 144:3)。

そこでイスラエルは、天を裂いて地に降りて来てくださいと叫び求めます。ダビデのために戦ってくださったように、山々から霊的な敵と地上の敵を討ってくださいと願うのです(詩篇 144:5)。雷を放って、自分たちを虐げる者たちを散らしてくださいと願います(詩篇 144:6)。荒れ狂う大水のように自分たちを飲み込もうとする諸国の混乱の中から、引き上げてくださいと願います(詩篇 144:7)。神はいちばん高い天から最も深い淵までを支配しておられます。ですから、神がご自身の民を救い出されるのを妨げられるものは何もありません。ダビデのためにそうしてくださった神は、再び同じことをなさることができるのです(詩篇 144:10)。

ダビデの敵は自分の力を誇り、神の救う力を侮りました(サムエル記Ⅰ 17:42〜45)。同じように、今もイスラエルの敵は、神をあざける偽りを口にしています(詩篇 144:8、11b)。そこでイスラエルは、邪悪な国々や邪悪な神々にまさる方であることを示して敵の口を封じてくださいと、神に願います。敵の偽りに立ち向かうように、イスラエルは救いをたたえる新しい歌を歌おうと備えます(詩篇 144:9)。神がダビデのために戦い、ご自身の名の正しさを示されたことを思い起こしながら、神が力を現して自分たちも救ってくださると喜び歌うのです(詩篇 144:10〜11)。

そして最後にイスラエルは、神が敵から救い出すだけでなく、いのちと繁栄をもたらしてくださると宣言します。子どもたちは、実り豊かな庭のように、堅く建てられた家のように、すくすくと育っていきます(詩篇 144:12)。倉と畑は、作物と家畜であふれます(詩篇 144:13)。この地の富は神によって守られ、二度と敵に奪われることはありません(詩篇 144:14)。どれほど不利な状況にあっても、神はどんな敵をも打ち破り、ご自身に属する者たちに繁栄をもたらすことができるのです(申命記 28:1〜14、詩篇 144:15)。

福音はどこにあるのでしょうか

神はイスラエルの祈りに答え、敵を散らし、追放の地から帰還する民を守られました(ネヘミヤ記 6:15〜16)。しかし、邪悪な国々の背後にいた邪悪な神々は新たな姿をとり、再び立ち上がってイスラエルに敵対し、虐げました。けれども神は、もう一度山に降り、力を現してご自身の民を回復してくださったのです。

神は、イエスというお方となって、ご自身の民を救うために来てくださいました。その働きが始まるとき、天そのものが開き、神が民のもとに来られたことが示されました。イエスはヨルダン川の水から上がり、神の霊に満たされて、悪の勢力との戦いに出て行かれたのです(ルカの福音書 3:21〜22、4:1〜2)。

イスラエルは、神が天から降り、山に触れ、敵に勝利してくださるようにと祈っていました。そして変貌の山の上で、イエスは、彼らが祈り求めたその神がご自身であることを明らかにされました。山頂でイエスは栄光の姿に変えられ、その衣は雷のようにまぶしく輝きました(ルカの福音書 9:28〜31)。山を下りると、弟子たちが悪霊を追い出せずにいるところに出会われます。しかし、民を救い出す神であるイエスは、敵の力を追い出し、混乱に代えて繁栄をもたらされました(ルカの福音書 9:37〜43)。 

そして究極的には、イエスは人類を虐げてきた最も暗い力、すなわち死そのものを打ち破られます。霊の勢力がこの世の支配者たちを動かしたとき、サタンは一人の弟子を唆して、イエスを死に引き渡させました(ルカの福音書 22:3)。敵たちはイエスについて偽りを言い立て、息を引き取られる時まであざけり続けました(ルカの福音書 23:35〜39)。しかしイエスは墓からよみがえり、死を無力にし、あざける者たちを恥じ入らせたのです(コリント人への手紙Ⅰ 15:55、コロサイ人への手紙 2:15)。

それからイエスは天に上り、最も高い王座から治め、ご自身の民に繁栄をもたらしておられます(エペソ人への手紙 1:21)。霊的なものも地上のものも、あらゆる力がその足の下に置かれました(マタイの福音書 28:18、コリント人への手紙Ⅰ 15:27)。そしてその王座から、打ち破られた諸々の力を捨て、ご自身の永遠の支配のもとに生きるようにと、すべての人を招いておられます(マタイの福音書 28:19〜20)。

イエスの支配のもとに入る人はみな、詩篇144篇が描く、豊かに栄えるいのちを受けます。私たちの生活は、神が民に約束された平和と豊かさを映し出し始めるのです(ヨハネの福音書 10:10)。神の子どもとして、イエスのうちにとどまるとき、私たちは成長し、イエスに似た者へと変えられていきます(ヨハネの福音書 1:12、15:5)。私たちは神の家として建て上げられ、神のいのちの豊かさを味わいます(コリント人への手紙Ⅰ 3:16)。そしてやがてイエスは、この戦いを終わらせるために再び来られます。すべての悪を追い出し、あらゆる偽りを黙らせ、私たちを祝福の地へと導いてくださるのです。そこで私たちは、イエスとともに永遠に栄えることになります(ヨハネの黙示録 21:4)。

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、すべての敵、すべての力にはるかにまさる神を見ることができますようにと祈ります。そして、死を無力にし、悪の力から私たちを解き放ち、永遠に栄える地へと導いてくださる方として、イエスを見つめることができますように。

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