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列王記Ⅱ 8:7~10:35

破壊者エフー

列王記Ⅱ 8:7~10:35から、イエスは新しいエフーであり、貧しい人から奪い、神の預言者たちを殺し、人を滅びに導く信仰を広める権力や宗教に対して、最後の復讐を果たす方であることが見えてきます。

ここで何が起こっているのでしょうか

それより何年も前、エリヤは北のイスラエル、南のユダ、そして両国の共通の敵であるシリヤのすべてに、劇的な権力の移り変わりが起こると預言していました(列王記Ⅰ 19:15〜17)。実際に、新しい王が眠っているシリヤの前王を絞め殺し、神の民に対する残虐な戦いを始めます(列王記Ⅱ 8:15、12)。一方イスラエルとユダを治めていたのは、アハブとイゼベルに忠実な者たちでした。アハブとイゼベルは神の預言者たちを殺し、神への賛美をバアルへの賛美に取り替えた前の王と王妃です(列王記Ⅱ 8:18、27)。

しかしエリヤが預言したとおり、エリシャはエフーに油を注ぎ、イスラエルの新しい指導者として立てます。エリシャは彼を「メシア」と呼びます(列王記Ⅱ 9:6)。メシアとは、神の民のために選ばれた救い主のことです。この言葉は文字どおり「油を注がれた者」を意味します。エフーは、アハブの家が流した血に報復するために油を注がれ(列王記Ⅱ 9:7〜8)、イゼベルを犬のえさにすることになります(列王記Ⅱ 9:10)。北王国の王で油を注がれたのはエフーだけであり、それを聞いた人々は自分の着物を彼の足もとに敷き、彼を王と呼びました(列王記Ⅱ 9:13)。

こうしてエフーは、アハブが残した遺産と偶像礼拝に対して、七つの破壊の行動を起こしていきます。かつてアハブとイゼベルがぶどう畑を手に入れるためにナボテを殺害したその同じ土地で、イスラエルとユダ、アハブ系の両方の王が倒れます(列王記Ⅱ 9:24、27)。エフーが近づくと、イゼベルは家来たちの手で高い塔から投げ落とされます。そして馬に踏みつけられ、犬に食われ、その体は排泄物となって近くの畑にまき散らされました(列王記Ⅱ 9:36〜37)。エリヤの預言がまた実現し、アハブの家系は消え去りつつあります。

アハブの残る子孫たちはサマリアに集まっていました(列王記Ⅱ 10:1)。エフーはこの町の指導者たちに手紙を送り、アハブの息子の一人を王座に立てるよう促します(列王記Ⅱ 10:3)。指導者たちはこれを遠回しな脅しと受け取り、アハブよりもエフーへの忠誠を強調しました(列王記Ⅱ 10:4)。次にエフーは、アハブの息子たちの「かしら」、つまり指導者たちをイズレエルに連れて来るよう要求します。ただし彼が用いたのは「首」とも読める言葉でした(列王記Ⅱ 10:6)。指導者たちはこの言葉を文字どおりに受け取り、アハブの息子七十人の首をはねました(列王記Ⅱ 10:7)。エリヤが語ったとおり、エフーはサマリアにいるアハブの忠臣を一人残らず滅ぼします(列王記Ⅱ 10:17)。

七番目の、そして最後の破壊の行動は、アハブとイゼベルがイスラエルに持ち込んだバアル崇拝に向けられます。エフーは死をもって脅しながら、バアルの祭司と預言者すべてを、その偽の神への大きな祝祭と犠牲のためだと言って招きます(列王記Ⅱ 10:19)。しかしそれは罠でした。エフーはバアルへの犠牲をささげるふりをしながら、背後の戸を閉ざし、祝っていた者たちを殺し、その神殿を汚物の場に変えてしまいます(列王記Ⅱ 10:25、27)。こうしてエフーはイスラエルからバアルを一掃し、イゼベルとアハブ、そして彼らの血に染まった宗教によって失われた人々のために報復したのです(列王記Ⅱ 10:28)。

福音はどこにあるのでしょうか

多くの点で、エフーはイスラエルにとって欠けの多いメシアでした(列王記Ⅱ 10:29)。その結果、シリヤの王の残虐さを押し返すことにも失敗します(列王記Ⅱ 10:32)。それでも彼は、イスラエルの偶像礼拝を押し戻した唯一の北王国の王です。また、神の目に「正しい」ことを行った唯一の北王国の王でもあります。そして驚くべきことに、彼の復讐こそが、ダビデのように彼が神の心にかなう王であることの証しとなっているのです(列王記Ⅱ 10:30)。

メシアとしてのエフーは、悪しき者への復讐、とりわけ神の預言者たちを攻撃する者への復讐が、神の御心の一部であることを示しています。イエスも、宗教的な指導者層とパリサイ人に向けたたとえ話の中で、同じことを語られました。神の預言者に敵対する者は、やがて来られる油注がれた方、来たるべきメシアによって、打ち砕かれるのです(マタイの福音書 21:44〜45)。

イエスは新しいエフーです。イエスこそ、貧しい人から奪い、神の預言者たちを殺し、人を滅びに導く信仰を広める権力や宗教に対して、最後の復讐を果たす方です。市民が自ら差し出した着物の上を歩いた王は、エフー王とイエス王の二人だけです(ルカの福音書 19:35〜36)。しかも二人とも、イスラエルにある偽の神々に献げられた神殿に向かって進軍する途上でそうしているのです(マタイの福音書 21:13)。エフーの復讐はイスラエルの偶像礼拝を正しきれませんでしたが、イエスの復讐はそうではありません。

ヨハネの黙示録では、イゼベルが偽の教師として再び登場します(ヨハネの黙示録 2:20)。そして、神の民と預言者たちの血に染まった偶像礼拝の女という姿は、繰り返し現れる主題です(ヨハネの黙示録 17:6)。聖書は、エフーとイゼベルの戦いがまだ終わっていないことを知っています。権力を持つ者、腐敗した宗教的指導者層、人を殺す世界観──それらはみな「イゼベル」なのです。今もなお神の民を惑わし、脅し、殺し続けています。しかしイエスは、偶像を拝む者たちと権力を持つ者たちが流した血に報復するために来られます。エフーのように、イエスの衣も悪しき者と暴虐な者の血に染まるのです(ヨハネの黙示録 19:13)。イエスは、どんな偶像礼拝も報復せずに放っておかれることはありません(ヨハネの黙示録 19:2)。そして虐げられてきた神の民はみな、永遠に平和のうちに生きるのです。

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、悪に報復される神を見ることができますように。そして、すべての悪と腐敗した宗教を一掃し、その民に平和を与えてくださる、より偉大なエフーとしてのイエスを見ることができますように。

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