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デボーション

列王記Ⅰ 12〜14章

逆さまの出エジプト

列王記Ⅰ 12〜14章から、イエスがイスラエルの逆さまになった出エジプトを覆し、ご自分の民をただ一度で永遠に救ってくださることを見ていきましょう。

何が起こっているのでしょうか?

イスラエルの王制が神の国をもたらすことはありません。イスラエルで最も強大な王ソロモンは、すでにこの世を去りました。そして神の民は、逆さまになった出エジプトの物語の只中に置かれます。今度はイスラエルがエジプトの立場なのです。

ソロモンの死後、その子が王国を継ぎます。ところが、ヤロブアムという対抗者がエジプトから戻り、神の民を救おうとします(列王記Ⅰ 12:1〜2)。イスラエルの多くの人々はソロモンの支配のもとで奴隷とされており、今はヤロブアムに救いを求めます(列王記Ⅰ 12:3〜4)。ファラオと同じように、ソロモンの子はこの脅威に対して奴隷たちの労働をさらに重くすることで応じます(列王記Ⅰ 12:14、出エジプト記 5:9)。そしてモーセと同じように、ヤロブアムはイスラエルの十部族を奴隷状態から導き出し、エルサレムの北の荒野へと連れて行きます(列王記Ⅰ 12:19)。しかし自由になったとたん、ヤロブアムは新しい金の子牛を造り、イスラエルにこう告げるのです。「イスラエルよ、これがあなたがたをエジプトから連れ出した神々だ」(列王記Ⅰ 12:28)。イスラエルの歴史はそのまま繰り返されました。ただし今回は、イスラエルが抑圧者であり、エジプトから来た者が解放者なのです。

それでもなお、ある預言者がヤロブアムに立ち向かい、ヨシヤという新しい王が彼の偶像礼拝の宗教に終わりをもたらすと預言します(列王記Ⅰ 13:2)。そのことばが神から出たものであることを証明するしるしとして、神はヤロブアムの手を萎えさせ、彼の偽りの祭壇を二つに裂かれます(列王記Ⅰ 13:4〜5)。しかしヤロブアムは頑固で、心を固くしたままでした。彼は金の子牛を造り直し、自分の王朝が滅び去る道を自ら整えてしまいます(列王記Ⅰ 14:10)。

やがて、過越の祭を逆さまにしたような出来事が起こります。ヤロブアムの子が病気になり、彼はいやしを求めて妻を預言者のもとへ遣わします(列王記Ⅰ 14:1)。しかし彼女がまだ預言者の家の戸口に立っているうちに、預言者はその子とヤロブアムの死を告げるのです(列王記Ⅰ 14:9、12)。エジプトの長子たちと同じように、彼女が自分の家の敷居をまたいだその瞬間、子は死にます(出エジプト記 12:23、列王記Ⅰ 14:17)。

一方、分裂した王国のもう一方では、ソロモンの子が自分の偶像を立て、エジプト人に財宝を奪われます(列王記Ⅰ 14:23、25)。これは、過越の祭の後にイスラエルがエジプトの富を奪い取ったこととちょうど正反対の出来事です(出エジプト記 12:36)。こうしてイスラエルの内戦で対立した双方が、同じことを学ぶことになります。偶像礼拝は奴隷状態と喪失と死へ導く、ということです。

福音はどこにあるのでしょうか?

ソロモンの子とヤロブアムは、王冠だけではイスラエルを偶像礼拝への傾きから導き出せないことを証明しました。先祖たちと同じように、イスラエルは自分の目に正しいと思えることをしたいだけなのです(列王記Ⅰ 14:8)。そしてイスラエルにとって、神の目に悪を行った結果は、奴隷状態へ戻ることでした(列王記Ⅰ 14:16)。皮肉なことに、ヤロブアムはソロモンのもとでイスラエルの奴隷たちを監督する立場にあった人物です。イスラエルは自分たちを奴隷として使っていた者に解放を期待し、結果として新しい主人、新しい偶像、そして死の奴隷となってしまったのです。

偶像や像は、いつも奴隷状態へと導きます。金の子牛も、理想的で満ち足りた人生のイメージも、解放を約束しながら、結局は人を奴隷にする者だと分かるのです。私たちは自分の目に正しく見えるものに、人との関係も、希望も、道徳心までも犠牲としてささげ、それでも以前と変わらず捕らわれたままの自分を見いだします。正しいと思い込んでいたものに縛られ、私たちもまた自分自身の逆さまの出エジプトから抜け出せずにいるのです(ヨハネの福音書 8:34)。

私たちに必要なのは偶像ではなく、解放してくださる神です。そして神は、木で刻まれた像や金で鋳造された像としてではなく、肉体をもって生まれた方としてご自身を現してくださいました。イエスは神のかたちそのものであり、神の本質の生ける刻印です(ヘブル人への手紙 1:3)。イスラエルはヨシヤが自分たちを解放してくれることを望みました。しかしイエスはヨシヤの子であるだけでなく、神の子でもあります。そしてイエスが自由にしてくださった者は、永遠に自由なのです(ヨハネの福音書 8:36)。

偽の神々や自分の希望、偶像に自分なりの犠牲をささげるのをやめて、イエスこそがあなたの神であり、あなたのための犠牲であると信頼してみませんか。イエスは過越の小羊として死んでくださり、偶像礼拝と死というあなたの物語をひっくり返してくださいました。心の戸口に塗られたその血によって、イエスは罪の奴隷状態から解放してくださるのです。さらに復活によって、イエスは墓をひっくり返し、死からその力を奪い取られました(コリント人への手紙Ⅰ 15:55)。ひざをかがめるに値するかたちは、イエスだけです。この方だけに信頼するなら、この方が自由にしてくださいます。

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、悪しき王たちを引き降ろされる神を見ることができますように。そして、ご自分を呼び求めるすべての人を奴隷状態から導き出される、まことのイスラエルの王イエスを見ることができますように。

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