この箇所で起きていること
詩篇 120篇から134篇は、「都上りの歌」と呼ばれる歌集を形づくっています。神の神殿があったエルサレムは丘の上にあり、神を賛美する人々は御前に出るために、その坂を上って行きました。神の民がエルサレムから悪しき国々へと追放された後、彼らは神の臨在があるこの山の都へと、巡礼の旅で帰り始めます。都上りの歌は、追放の地からエルサレムへ上って行く旅人たちや、異国の中にあって上ることを慕い求める人々によって歌われました。この15の詩篇は、五篇ずつのまとまりに整えられています。
中央の五篇、125篇から129篇は、追放されたイスラエルがどのようにして自分たちの地へと回復されるのかを物語ります。これらの歌が喜び歌うのは、神がエルサレムからすべての悪しき国々を取り除き、ご自分の公正な民のために、永遠のいのちと繁栄に満ちた御国を築いてくださるということです。そしてこの公正な御国は、やがて地上の悪しき国々に打ち勝ち、それらを癒やしていきます。
詩篇 125篇で神は、公正な者を守り、悪者を追い出すことによって、ご自分の御国を確立すると約束されます(詩篇 125:2)。公正な者たちは、揺らぐことのない山の頂にある神の御国へと上り、そこで栄えます。一方、悪に仕える者たちは、自ら選んだ曲がった道を、山を下って行かなければなりません(詩篇 125:5)。その山の頂で、神はご自分の民を治め、彼らを再び追放へ引きずり戻そうとするどんな悪しき王からも守ってくださいます(詩篇 125:3〜4)。
詩篇 126篇では、追放された神の民の夢が実現し始めます。神は、ふもとにいた追放の民によって、ご自分の公正な山を満たし始められるのです。神はイスラエルの預言者たちや夢を見る者たちに、必ず彼らを故郷へ連れ戻すと約束しておられました。そして今、彼らはその夢の中を生きています(詩篇 126:1)。イスラエルが救い出されたことを喜ぶと、驚いたことに、ふもとの悪しき国々もその祝いに加わり、イスラエルの神がこれらの大いなることを成し遂げたと告白します(詩篇 126:2〜3)。神は慈悲深く、イスラエル人と、悪しき国々の中で悔い改めた者たちの双方によって、ご自分の山を満たしておられるのです。悔い改めの涙で潤された悪しき地は、帰還する追放の民という刈り入れをもたらします(詩篇 126:6)。
都上りの歌の中心に置かれた詩篇 127篇では、山にいる神の民が義の子どもたちを生むことによって、御国が広がっていきます。イスラエルの歴史の中で最も有名な公正な子とは、この詩篇の作者とされるソロモン王でした。義のうちに、ソロモンは山の上に神の神殿を建てました。しかし悪のゆえに、その神殿は破壊されてしまいます。だからこそこの詩篇は、永く残るものとなるのは、神が建て、守り、備えてくださる家だけだと認めているのです(詩篇 127:1〜2)。ここで言う「家」とは、住まいでも新しい神殿でもなく、ソロモンの父であるダビデ王の家系のことです。神はダビデに、その子孫が神の山で永遠に義をもって治めると約束されました(サムエル記Ⅱ 7:16)。神がイスラエルを栄えさせ、悪しき国々の間に義の御国を広げていかれる方法は、義の子どもたちを増やし、地を覆わせることなのです(詩篇 127:3〜5)。
詩篇 128篇では、公正な子どもたちが神の山の御国で栄えます。彼らが栄えるのは、王である神に公正に従うからです(詩篇 128:1)。作物を悪しき国々に容赦なく取り立てられることもなく、自分で育てた食物を自分のものとすることができます(詩篇 128:2)。子どもたちが奴隷として売られることもなく、安全な家庭の中で健やかに育ち、栄えていきます(詩篇 128:3)。公正な王である神に従う者は、代々にわたって豊かに栄える人生を味わうのです(詩篇 128:4〜6)。
それとはまったく対照的に、詩篇 129篇は、神の山を離れたところには繁栄がないことを示します。イスラエルが悪しき国々の支配下にあったとき、彼らは農夫が畑を扱うようにイスラエルを扱い、自分たちの利益のためにイスラエルの背中を耕し、種を蒔きました(詩篇 129:1〜3)。しかし神は義をもたらし、イスラエルを捕らえていた者たちの手から解き放って、故郷へ連れ帰られます(詩篇 129:4)。そうすることで、神は悪しき支配者たちから奴隷を奪い取り、その暴力的な企てをことごとく無に帰されるのです(詩篇 129:5)。彼らは自分たちの悪が豊かな刈り入れをもたらすと思っていましたが、神の義のゆえに、持ち帰るものは枯れた草くずだけとなります(詩篇 129:6〜7)。悪者は神の山に上ることを阻まれ、その公正な御国の繁栄から断ち切られます(詩篇 129:8)。
福音はどこにあるのでしょうか
都上りの歌の中心にある物語は、聖書全体の物語でもあります。イスラエルと同じように、すべての被造物は悪しき支配者たちの暴力的な力の下で、追放の状態にありました(ヨハネの手紙Ⅰ 5:19)。その権威の下で、私たちは死をこの世界に蒔き、また刈り取ってきたのです。イスラエルと同じように、全地にも、悪しき支配者を追い出し、民を治めて公正な者とする王が必要でした。悪しき王たちを打ち破り、その子孫で地を覆う、ダビデの家から出る王が必要だったのです(ローマ人への手紙 15:12)。その王こそイエスです。
ダビデの家の子孫であるイエスは、悪霊を追い出すことによって悪しき支配者たちをこの地から追い払い、ご自分の支配を開始されました(マタイの福音書 12:28、ヨハネの手紙Ⅰ 3:8)。そして、耳を傾けるすべての人に、悪から離れて義の御国に加わるよう呼びかけられました。しかし、すべての被造物と同じように、イエスもまた悪しき国々と暴力的な支配者たちの手に渡されます(イザヤ書 53:5)。彼らはイエスをエルサレムの外へ追放し、十字架の上で、その体を死の地へとすき込んだのです。
けれども、諸国の悪しき支配者たちの場合と同じように、その暴力的な企てはすべて無に帰しました(コロサイ人への手紙 2:15)。イエスが、勝利者として、永遠に、全世界を治める王として死からよみがえられたからです。イエスはあらゆる王座にまさる王座を与えられました。しかもそれはエルサレムではなく、天の山においてでした(ヘブル人への手紙 12:22)。その権威の座から、イエスはご自分の民を義をもって治めることにより、悪を追い出しておられます(詩篇 110:1)。聖霊を通して、イエスはダビデの家の数えきれない子孫を生み出され、彼らは地上のあらゆる国で実を結び、御国を広げているのです(ガラテヤ人への手紙 3:29)。
今や、イエスの公正な王としての支配のもとに自分の人生を築く人は、誰でも山のように揺るがされることがありません。イエスご自身、山の上での説教でこの真理を教えてくださいました(マタイの福音書 7:24〜25)。王であるイエスに従う公正な人々は、その地から決して動かされることがなく、その王権を拒む悪者は追い払われます。そして最後には、イエスが私たちの地に帰って来られ、どんな悪しき支配者も二度と手を出すことのできない永遠の御国を打ち立ててくださるのです(ヨハネの黙示録 22:3)。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、公正な者を守り、悪者を治めておられる神を見ることができますようにお祈りします。そして、悪の力を打ち破り、地を覆う御国を築いてくださる公正な王として、イエスを仰ぐことができますように。

