何が起こっているのでしょうか?
かつて神が、世界にいのちをもたらすために選ばれた国が、今や死に向かっています。イスラエルはバビロンの支配下にあり、本来なるべき民となる希望はほとんど残されていないように見えます。ところがある日、エゼキエルという人が運河のほとりに座っていると、天が開かれます。エゼキエルは創造主である神の幻を見せられ、死に向かうイスラエルへの預言者として召されるのです(エゼキエル書 1:1〜3)。
エゼキエルが幻の中で見るもののほとんどすべては、世界を創造された神は、たとえ自分たちの世界が壊れ去った後でも、もう一度造り直すことができる、と追放された民に思い起こさせるためのものでした。まずエゼキエルが見たのは、雲が燃えているように見えるほど雷光に満ちた、激しい風の嵐でした(エゼキエル書 1:4)。その風は、原初の地の水の上を動いていた神の「風」あるいは「霊」を思い起こさせます(創世記 1:2、エゼキエル書 1:3〜4)。バビロンの荒野の上に昇る嵐の光は、創造の前の混沌の上に神が輝かせた光のようです(創世記 1:3、エゼキエル書 1:4)。これらの最初の情景は、エゼキエルが世界を創造された神を見ているのだと教えてくれます。しかし嵐の中には、翼を持つ四つの生きものがいました(エゼキエル書 1:5〜9)。それぞれの生きものには四つの顔があり、一つは人間、一つは獅子、一つは牛、そして最後は鷲の顔でした。これらの生きものは、造られた秩序の全体(人間、野の獣、家畜、空を飛ぶもの)が神に支配されていることを表しています。それぞれの生きものは、二つの輪が互いに組み合わさった車輪とつながっており、その輪は目でおおわれていました(エゼキエル書 1:10〜21)。目は、神がご自分の造られた地のすべてを見ておられることを象徴し、どの方向へも進める車輪は、神がどこへでも行かれることを示しています。さらにエゼキエルは、その生きものたちが大空を支え、その大空の上には光に囲まれた王座に座る、火のような王がいるのを見ます(エゼキエル書 1:22〜27)。この火のような王とは、大空の上に力をもって座し、地を治めておられる神です。エゼキエルの幻は希望に満ちています。イスラエルが追放の身であっても、創造の神は、ご自分の民に新しいいのちを与えようと備えておられるのです。
この新しいいのちのしるしとして、エゼキエルは創造の神の幻を見た後、倒れ伏します(エゼキエル書 1:28)。しかし神は、アダムを土から起こされたように、エゼキエルの体を塵から起こされます。神は彼を「アダムの子」(お手元の聖書では「人の子」と訳されているかもしれません)と呼び、死に向かう民への、新しい創造の預言者として召されました(エゼキエル書 2:1〜4)。反対されても、エゼキエルは神のことばを誠実に語らなければならない、と神は言われます(エゼキエル書 2:5〜7)。すると突然、イスラエルへの神のメッセージが書かれた巻物がエゼキエルに渡され、彼はそれを食べます。それは、神の預言者となることを進んで受け入れるというしるしでした(エゼキエル書 2:8〜3:3)。それから神は、まず、これから直面する反対よりも彼を強くしてくださると励まされます(エゼキエル書 3:4〜11)。ふと気づくと、エゼキエルは運河のほとりに戻っており、その後七日間、死んだようになって過ごします(エゼキエル書 3:12〜15)。しかし神は、ほとんど死んだようになったエゼキエルの体に新しいいのちを吹き込み、使命を始めるように告げられます。見張り人が、守るべき人々のいのちを保つために迫る危険を警告するように、エゼキエルの警告も、聞き入れられるならば、神がご自分の民に与えようとしておられる新しいいのちを確かなものとするのです(エゼキエル書 3:16〜23)。この警告を与えたうえで、神はエゼキエルに家へ帰り、最初のメッセージを待つように言われます(エゼキエル書 3:24〜27)。
福音はどこにあるのでしょうか?
神の創造の力、いのちを与える力についてのエゼキエルの幻は、追放の中で死に向かうイスラエルが、エゼキエルに耳を傾け、死んだ国を追放から起き上がらせる神の創造の力を体験するよう励ますためのものでした。しかし残念なことに、イスラエルの中でエゼキエルに耳を傾けた人はごくわずかでした。その結果、イスラエルの首都は二度と回復しませんでした。何百年もの間、神の民はさまざまな国に捕らわれ続けます。そしてついに神は、死に向かうイスラエルに新しい預言者を送られました。その名はイエスです。神が運河のほとりでエゼキエルを召されたように、神は川の上の天を開いてイエスを召されます(ルカの福音書 3:21〜22)。翼あるものが降り、天からの声が、この人の子こそ、死に向かう民に新しいいのちをもたらすために神が選ばれた預言者であると宣言します(ルカの福音書 3:38)。そして、エゼキエルが神の使命を受け入れるために巻物を食べたのに対し、イエスは巻物を読むことから使命を始め、新しい創造という神のご計画がついに実現したという良い知らせを宣言されました(ルカの福音書 4:16〜20)。イエスこそ、新しい創造を告げる究極の預言者です。イエスは、ご自分の民にいのちをもたらすために来られた、最後のエゼキエルなのです。
ただし、エゼキエルがイスラエルに迫る死と追放、そして耳を傾けるなら与えられる守りについて預言したのに対して、イエスはご自分の死と、その後にご自分と従う者たちが受ける復活のいのちについて預言されました(マルコの福音書 8:31〜33、9:30〜32、10:32〜34)。エゼキエルは国の滅びについての見張り人でしたが、イエスはご自分自身の死についての預言者でした。イエスは、新しい創造という知らせを人々が受け入れるなら、神の民は神によって新しく造られると教えられました(コリント人への手紙Ⅱ 5:17)。また、ご自分の民がこの知らせを受け入れるなら、永遠に生きると約束されました(ヨハネの福音書 3:16)。しかもイエスは、それを教えただけでなく、実際に成し遂げられました。イエスは死に、そして死者の中から復活されたのです。ですから、イエスの死と復活を信じるなら、私たちもまた死を免れ、イエスとともに永遠に生きるのです。
自分の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、創造されたすべてのものを治めておられる神を見ることができますように、と祈ります。そして、エゼキエルの新しい創造の使命を完成された方として、イエスを見ることができますように。

