何が起こっているのでしょうか
聖書の中で「反キリスト」と呼ばれる存在に言及しているのは、ヨハネの手紙だけです(ヨハネの手紙Ⅰ 2:18)。そしてヨハネの手紙Ⅰでは、2章と4章でヨハネが彼らのことを正面から取り上げています。4章では、同じ人々を「偽預言者」と呼んでいます(ヨハネの手紙Ⅰ 4:1)。ヨハネがすぐに指摘するのは、反キリストは一人だけではなく多数いるということ、そして反キリストの存在は教会生活にありふれたものだということです。彼らには二つの共通点があります。
第一に、彼らはかつてヨハネの教会に属していましたが、そこを離れ去った人々です(ヨハネの手紙Ⅰ 2:19)。第二に、彼らはイエスが「キリスト」であることを否定します。この「キリスト」とは「油を注がれた者」を意味するギリシア語です(ヨハネの手紙Ⅰ 2:22)。聖書全体を通して、神は多くの人に油を注いでこられました。ダビデ王はその最も有名な例の一つです(サムエル記Ⅰ 16:13)。油を注がれるとは、神がその人を選び、使命を与え、ご自身の霊で満たして、ご自分の民を救わせるということでした。ですから、イエスが神の油注がれた者であることを否定するのは、文字どおり「キリストに敵対する」ことであり、ご自分の民を救おうとされる神のご計画に逆らうことなのです(ヨハネの手紙Ⅰ 4:2〜3)。
しかもこの反キリストたちは、自分たちの信じることを教えていただけではありません。その信念のために人を殺してもいたのです。ヨハネの福音書の中でイエスは、こういう人々が弟子たちを迫害し、殺すようになると警告しておられました(ヨハネの福音書 16:2〜3)。ヨハネの共同体は、それを身をもって知っていました(ヨハネの手紙Ⅰ 3:15)。ですからヨハネは、混乱と絶望の中にいる彼らを良い知らせによって励ますのです。
福音はどこにあるのでしょうか
良い知らせとは、ヨハネの弟子たちは神から油を注がれており、神に油注がれた方に敵対する者たちには何の力もないということです(ヨハネの手紙Ⅰ 2:20)。ヨハネの弟子たちは、神の敵が言い散らす偽りを恐れる必要はありません。聖霊が彼らを真理で満たしてくださったからです(ヨハネの福音書 14:16、ヨハネの手紙Ⅰ 2:21)。神は御子を人となって世に送られました。イエスこそ油を注がれた方です。そしてこの油注がれた方は、ご自分の民を救うために死からよみがえられました。実のところ、油注がれた方に敵対する者たちは、すでに打ち負かされているのです。
ヨハネの弟子たちと同じように、私たちもその同じ油注ぎで満たされています。反キリストは世の中に生きていますが、神の油注ぎは私たちの内に生きています(ヨハネの手紙Ⅰ 2:27a)。反キリストの教えは、外の世界には説得力があるように聞こえるかもしれません(ヨハネの手紙Ⅰ 4:5)。けれども私たちの内には、何が真実かを思い起こさせてくださる、もっとすぐれた教師が住んでいてくださるのです(ヨハネの手紙Ⅰ 2:27b)。イエスに敵対する哲学や議論、世界観を恐れる必要はありません。この世とその偽りは過ぎ去っていくからです(ヨハネの手紙Ⅰ 2:17a)。やがて残るのは、ただ一つの真理だけです。すなわち、イエスもいったんは死んで過ぎ去られましたが、私たちを死から救うために神から使命を受けた油注がれた方としてよみがえられた、という真理です。
ヨハネはこう語ります。愛する子どもたちよ、あなたがたは神から出た者であり、すでに反キリストに打ち勝っています。あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強い方だからです(ヨハネの手紙Ⅰ 4:4)。たとえ反キリストたちが結束して私たちを殺そうと企てても、彼らが勝つことはありません。神の油注がれた方は死んでよみがえられ、私たちもその同じ霊によって油を注がれているのです(ローマ人への手紙 8:11)。たとえ死んでも、クリスチャンは勝利者です。私たちを最終的に脅かす反キリストなど、どこにもいないのです。なぜなら、キリストであるイエスは死からよみがえり、今も私たちの内に生きておられるからです。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、御子イエスに油を注がれた神を見ることができますように。そして、反キリストとそのすべての力をすでに打ち破られたキリストとして、イエスを仰ぐことができますように。


