何が起こっているのでしょうか
イエスの弟子であったヨハネは、偽教師たちの攻撃にさらされている共同体に向けて、この手紙を書いています。ヨハネは彼らを「反キリスト」とまで呼びます(ヨハネの手紙Ⅰ 2:22)。この反キリストたちは、もともと牧師や教会の指導者でありながら、自分の教会を去り、今ではヨハネや他の使徒たちのイエスについての教えが間違っていると主張している人々です(ヨハネの手紙Ⅰ 2:19)。彼らは、イエスが肉体をとって来られたことを否定します(ヨハネの手紙Ⅰ 4:3、ヨハネの手紙Ⅱ 1:7)。神がからだをお取りになったことを否定し、神が――イエスとして――彼らのために十字架で血を流されたことを否定するのです。
そこでヨハネは、自分が聞き、見て、その手で触れたものに土台を置くところから手紙を始めます(ヨハネの手紙Ⅰ 1:1)。ヨハネは、他の弟子たちや使徒たちと共に、目撃証人なのです。イエスを、つまり神ご自身を、直接その身で体験した人です。反キリストたちは福音を霊的なものにすり替えたいのですが、ヨハネは、彼らが自分の証言を霊的な話にすり替えて消し去ることはできないと語ります。
初めからおられたその同じ神が生まれ、いのちのことばが生きた方となって自分の目の前で生活された、とヨハネは言い切ります(ヨハネの手紙Ⅰ 1:2)。ヨハネは自分の目で神を見、自分の耳でその声を聞いたのです(ヨハネの手紙Ⅰ 1:3前半)。反キリストたちの霊的にすり替えられたメッセージは、事実に反しています。神は生まれてくださり、使徒たちはその方を見、聞き、触れました。ですから、永遠のいのちはイエスのうちにしかないのです。
福音はどこにあるのでしょうか
反キリストたちは、イエスの受肉を否定しました。その結果、彼らの言葉に耳を傾けた人々は疑いに苦しめられるようになりました。もし神が自分自身を人間と結び合わせてくださらなかったのなら、人はどうして自分が神と結ばれていると知ることができるでしょうか。もし受肉が本当でないなら、私たちはどうして救われていると知ることができるでしょうか。
ヨハネの答えは実にシンプルです。私たちが神と本当に交わりを持てるのは、神が肉体をもって、自分自身を人間と結び合わせてくださったからです(ヨハネの手紙Ⅰ 1:3)。イエスは実在の方でした。永遠のいのちに、人は触れたのです。初めからあったその方が、マリアから生まれてくださいました。イエスの受肉という良い知らせに信頼を置く人は、神の前での自分の立場を恐れる必要はありません。私たちが母から生まれたのと同じくらい確かに、神は私たちを救ってくださったのです。
確かに私たちは、ヨハネの共同体の人々と同じように、自分の目でイエスを見たわけではありません。けれども、ヨハネは目撃証人でした。ヨハネは、肉体をとられた永遠のいのちと共に食べ、眠り、歩いたのです。ヨハネはイエスが死ぬのを見つめ、空になった墓の中をのぞき込みました。反キリストたちの主張には、何の根拠もありません。神が肉体をとって来られたことは歴史の事実であり、使徒たちはみな一致してそう証ししています。神は肉体をとって来られました。その名はイエスです。そして、この方のうちにあって救われているのです。
ご自分の目で見てみましょう
聖霊が目を開いてくださり、地上に来られたいのちのことばを見ることができますように。そして、イエスを肉体をとられた神として見ることができますように。


