何が起こっているのでしょうか
アッシリアという国がユダに向けて進軍しています。助けがなければ、世界を祝福するために神が選ばれた民は滅びてしまいます。助けを求めて必死になった王は、強大な国エジプトに使者を送って同盟を結び、ユダを救おうとします(イザヤ書 30:1〜2)。しかしイザヤは、それは愚かなことだと語ります。王はユダの富と使者たちのいのちを危険にさらしてまで、悪と腐敗に満ち、結局は何の助けにもならない国から援助を買おうとしたのです(イザヤ書 30:3〜7)。イザヤは王に、こうした政治的な自力救済の試みを捨てて神に信頼し、神が民を救ってくださるのを待ち望むよう呼びかけます。
王がエジプトと同盟を結んだことを受けて、神はイザヤに、ユダの滅亡についてのこれからの預言を書き記すよう命じられます(イザヤ書 30:8〜9)。 その預言が実現するとき、イザヤのことばは、神に信頼することを拒み、イザヤに耳を傾けようとしないことがいかに愚かであるかを証明する、書き記された証拠となります(イザヤ書 30:10〜12)。神に信頼しなかったユダの王は、その代価として王国を失うことになります(イザヤ書 30:13〜15、31:1〜2)。王は軍事力に救いを求め続けるので、その軍事力によって食い尽くされるのです(イザヤ書 30:16〜17、31:3)。しかし神はまた、もしユダの王が自力救済の試みを捨てて神を待ち望むなら、王も民も救われると語られます(イザヤ書 30:18、31:4〜6)。神に信頼する者たちは、エルサレムでいつまでも幸いに生きるのです(イザヤ書 30:19)。神が助けを求めるすべての人に直接語りかけてくださるので、ユダはもはやほかの神々に導きを求める必要はありません(イザヤ書 30:20〜22)。あらゆる草木も人も動物も新鮮な水を飲むことができ、神は神の民の敵をことごとく滅ぼされます(イザヤ書 30:23〜28、31:5〜9)。その日、エルサレムは冷ややかな自力救済の試みではなく、民を救い出してくださる神への信仰に満たされるのです(イザヤ書 30:29〜33)。
イザヤは、ユダの現在の愚かな王に代わって、やがて知恵ある王が神の民を治めると預言します。不正と腐敗は正義と義に取って代わられます。悪は断罪され、神に信頼する者たちは正しいと認められるのです(イザヤ書 32:1〜8)。エジプトとの同盟と偶像礼拝のゆえに、ユダには滅びが迫っていますが、その滅びの向こう側で、神はご自分の御霊といのちを与える臨在をユダに注ぐと約束されます。その王国は正義と義と平和に満ちて花開くのです(イザヤ書 32:9〜20)。神を離れて救いの希望はありません。ユダがこれらの祝福を望むなら、自力救済の試みを捨てて、ただ神にのみ信頼しなければならないのです(イザヤ書 33:1〜16)。そうしてはじめて、ユダは神の王が王座につき治めるのを見、再び世界に祝福がもたらされるのを見ることになります(イザヤ書 33:17〜24)。
福音はどこにあるのでしょうか
私たちの誰も国を治めてはいませんが、大きな重圧の下で必死に助けを求める思いは、よく分かるのではないでしょうか。ユダの王と同じように、私たちもしばしば、神を待ち望み救う力に信頼するのではなく、身の回りにある力ある人々や物事に助けと支えを求めてしまいます。イザヤは、神以外のものに助けを求めるのは愚かなことだと警告しましたが、やがてイザヤが正しかったことが明らかになりました。イザヤの語ったことはすべて実現したのです。エジプトは頼りにならない同盟国であることが分かり、ユダの自力救済の試みはことごとく失敗しました。私たちにとってイザヤの預言は、信頼できる助けと支えは神からのものだけだという証拠なのです。
けれどもイザヤは、神が知恵ある王として治める日についても預言しました。その王は神の民を敵から救い、重圧の下にある者に平和を与え、いのちを与える御霊を民に注いでくださいます。これらの預言はイザヤの時代にではなく、イエスの生涯と死と復活において実現しました。イエスこそ、私たちに必要な知恵ある王です。その生涯において、助けと支えを求めてイエスのもとに来た人は皆、それを受けました。イエスは悪霊に攻め立てられていた人々を解放し、苦しむ人々に平和をもたらし、飢えた人、病んだ人、死にゆく人に助けを与えられました(マタイの福音書 8:28〜34、ルカの福音書 17:11〜19、7:11〜17)。ほかの力や人のもとに走ることをやめ、イエスに信頼した人は皆、救いと祝福といのちを受けたのです。
しかし、イエスの最も大いなる救いのみわざは十字架の上でなされました。その死において、イエスはローマの権力と死と悪に立ち向かって戦い、墓からよみがえることによってそのすべてに勝利されました。今やイエスは、いのちにも死にも、この世のあらゆる力にも勝る王座に昇られました。そしてご自分の民に、いのちを与える御霊を注いでくださいました(使徒の働き 2:1〜4、14〜21)。もはやほかの神々や力に導きを求める必要はありません。神の御霊が、信頼するすべての人を導いてくださるからです。イエスにあって希望があります。自力救済の試みを捨ててイエスを待ち望む人は誰でも、敵から救い出され、神の国に加えられるのです。
自分の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、ご自分の民を救おうとしておられる神を見ることができますように。そして、神のいのちを与える御霊で私たちを満たしてくださる王として、イエスを仰ぐことができますように。

