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歴代誌Ⅰ 9:35〜14:17

神の王の登場

歴代誌Ⅰ 9:35〜14:17には、ダビデが失敗したところでイエスが完全に従い、神の導きが都の箱の中ではなく、すべての民のうちに永遠に宿るようにと、ご自分のいのちを捨ててくださった姿が示されています。

ここで何が起きているのでしょうか

系図が九章も続いたあとで、私たちは厳しい警告を受け取ります。神に聞かないことは、国家の自殺行為だということです。イスラエルの最初の王サウルは、古くからの敵であるペリシテ人と戦い、敗れつつあります(歴代誌Ⅰ 10:1〜2)。重傷を負ったサウルは、捕らえられるよりはと自ら命を絶ち、民が捕らえられるままにしてしまいます(歴代誌Ⅰ 10:3〜7)。ペリシテ人はその遺体を見つけると、首をはね、身にまとったものを剥ぎ取り、彼の滅びを祝いました(歴代誌Ⅰ 10:8〜10)。歴代誌の記者は、こうしたことがすべて起こったのは、サウルが律法によっても預言者を通しても神の導きを求めなかったからだと語ります(歴代誌Ⅰ 10:13〜14)。

サウルの敗北のあと、全イスラエルが群れをなしてダビデのもとに集まり始め、神がイスラエルを治めるために選んだ王に忠誠を誓います(歴代誌Ⅰ 11:1〜3)。神はダビデとともにおり、彼を導かれます。ダビデはすぐに新しい都エルサレムを確保します(歴代誌Ⅰ 11:4〜9)。ダビデが神の導きに従うほどに、その軍勢は大きくなり、勝利を重ねていきます(歴代誌Ⅰ 11:10〜47)。ついにはかつてサウルに忠実だった者たちまでもダビデのもとに移り、ダビデのために戦うことは神のために戦うことだと認めるようになりました(歴代誌Ⅰ 12:1〜39)。聞くことをしなかったサウルの治世が敗北と死をもたらしたのに対し、神に聞くダビデ王の治世は、イスラエルに一致と勝利と喜びをもたらします(歴代誌Ⅰ 12:40)。

神の導きに従ってイスラエルを治めたいという願いのしるしとして、ダビデは契約の箱をエルサレムに運び入れる計画を立てます(歴代誌Ⅰ 13:1〜4)。この箱は神が語られる場所であり、その中には十戒が納められていました(出エジプト記 25:10〜22)。十戒は、イスラエルに与えられた神の律法的な導きの要約です。ダビデは神のすべての律法の写しを自分のために持っているべきでした(申命記 17:18〜20)。ところがダビデは、箱の取り扱いについて書かれた神の導きに従いませんでした。この聖い物を誤って扱ったために、ダビデの部下の一人が命を落としてしまいます(歴代誌Ⅰ 13:7〜11)。自分の怠りがエルサレムにまで及ぶことを恐れたダビデは、箱を正しくエルサレムに運び入れられるようになるまで、ある祭司の家へと預けました(歴代誌Ⅰ 13:12〜14)。

ダビデがさらに深く神の導きに聞き従っていくと、神は他の国々にもイスラエルの繁栄を認めさせます。ツロの国は、生まれたばかりのイスラエルに、王宮を建てるための資材を贈ります(歴代誌Ⅰ 14:1〜7)。しかし、かつてサウルと戦ったあのペリシテ人は、イスラエルの台頭を喜びませんでした(歴代誌Ⅰ 14:8〜9)。けれどもダビデはサウルとは違い、神の導きを求めます。そして神がペリシテ人を打ち破られました(歴代誌Ⅰ 14:11〜16)。こうした勝利を受けて、やがてイスラエルの周囲の国々はみな、新興の国イスラエルを恐れるようになります(歴代誌Ⅰ 14:17)。 

福音はどこにあるのでしょうか

神の王が神の声に聞き従うとき、その歩みは栄えます。しかし聞かないなら、死を迎えることになります。歴代誌を最初に読んだ人々は、サウルの屈辱とイスラエルの屈辱が重なって見えたことでしょう。サウルの首と武具がペリシテの神殿へ運び去られたのと同じように、エルサレムの指導者たち、聖い器具、武器庫もバビロンへ運び去られたのです(歴代誌Ⅱ 36:15〜20)。イスラエルの最初の王の悲劇が、そのまま国全体の悲劇となりました。新しい世代の指導者として国を建て直したいと願うなら、彼らもダビデのように神の導きを求め、神の声に聞き、へりくだって従わなければなりません。

そして最終的に、ダビデが民を導き入れ始めた一致と勝利と平和は、ダビデの子孫であるイエスにおいてこそ完全に実現します(マタイの福音書 1:1)。ダビデのように、イエスもたびたび神に導きを求められました(ルカの福音書 5:16、6:12)。ダビデのように、イエスは神が求められることに従われました(ヨハネの福音書 5:19、14:31)。その従順は徹底しており、イエスこそ肉となった神の導きと呼ばれるほどです(ヨハネの福音書 1:14)。しかし最も大切な場面で、つまりダビデが自分の王国の中心に神の導きを運び入れ、すべての決断をそれによって導こうとしたそのときに、ダビデは聞くことに失敗し、一人の人の命が失われました。けれどもダビデが失敗したところで、イエスは失敗されませんでした。イエスは従順に、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それは、神の導きが都の箱の中ではなく、すべての民のうちに永遠に宿るためでした(ピリピ人への手紙 2:8)。イエスによって、神の導きは私たちのうちに永遠に住んでくださるのです(ヨハネの福音書 14:26)。そして、神の一致と勝利と平和が神の民を永遠に治めることを、何ものも妨げることはできません。

 ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、その民をいのちと平和へと導かれる神を見ることができるよう祈ります。そして、神の導きに聞き従い、私たちを勝利へと導いてくださる王として、イエスを見上げることができますように。

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