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列王記Ⅰ 6〜8章

ソロモン、神殿を建てる

列王記Ⅰ 6〜8章から見えてくるのは、イエスこそ最終的な神殿であり、この世界のあるべき姿を示す究極のひな型だということです。イエスに向かって手を差し伸べるとき、エデンと神の神殿にあるすべての祝福が私たちに与えられます。

何が起こっているのでしょうか

ソロモンが神殿を建てます。これはイスラエルの歴史の頂点と言える出来事でした。神殿は単なる賛美の場所ではなかったからです。それは、この世界のあるべき姿を映し出すひな型でした。エデンと同じように、神と人がともに住むことのできる場所だったのです。モーセも、神の幕屋は天にあるものの写しだと告げられていました(出エジプト記 25:40、ヘブル人への手紙 8:5)。

金や杉材、そして神殿の聖なる装飾の配置は、どれも神がご自分の世界をどのように秩序づけたいと願っておられるかを表しています。園と同じように、ひょうたんやざくろ、ゆりの花で豊かに彩られています(列王記Ⅰ 6:18、列王記Ⅰ 7:42)。どの要素も、熟練の技によって設計され造り上げられました(列王記Ⅰ 6:7)。この「神殿という宇宙」の中心には神の御座と臨在があり、近づく者すべてに影響を及ぼします(列王記Ⅰ 8:10〜11)。しかもその臨在は、エデンを守った二人の天使と同じように、二人の天使によって守られています(列王記Ⅰ 6:27、創世記 3:24)。そして園のすみずみが水で潤されていたように、神殿も水で満たされていました。

「海」と呼ばれる巨大な水盤があり、神の臨在に向かって歩んでいくと、その左右には十個の大きな水盤が並んでいます(列王記Ⅰ 7:39、43)。イスラエルが紅海を通って山で神にお会いしたように、神の民は臨在へと歩み寄りながら、自分たちの救いの物語をもう一度たどることになるのです。神殿は、この世界の縮小模型なのです。

だからこそ、ソロモン自身の宮殿も、王座の間も、イスラエルの最高裁判所も、すべて神殿の近くに、しかも神殿と同じエデンを思わせる装飾をもって建てられました(列王記Ⅰ 7:2)。人間は本来、神とともに地を治めるべき存在でした。ですからソロモンは、自分の宮殿と王座と裁きの座を、神のかたわらに置いたのです。

神はソロモンに、ご自分がこの神殿に閉じ込められる方ではないと警告されます(列王記Ⅰ 6:13)。そしてソロモンが神殿を奉献するとき、彼も同じ真理をもって民に警告します(列王記Ⅰ 8:27)。神は、民とともに住むために建物を待っておられたわけではありません。神が住まわれるのは、神を愛し、従いたいと願う心の中なのです(列王記Ⅰ 8:25)。神に神殿が必要だったのではありません。必要だったのは民のほうで、神に向かって手を差し伸べる者は誰でもエデンの豊かさをすべて受けるのだと思い起こさせる、目に見えるしるしが必要だったのです(列王記Ⅰ 8:30)。これこそ、この世界のあるべき姿です。

福音はどこにあるのでしょうか

使徒ヨハネは、イエスがご自分の死を、神を賛美する古いあり方の破壊であり、新しい種類の神殿による統治の始まりとして理解しておられたと伝えています(ヨハネの福音書 2:19〜21)。究極的には、イエスこそ神殿であり、この世界のあるべき姿を示すひな型なのです。人々がイエスに手を差し伸べると、癒されました(マルコの福音書 5:27〜28)。人々が赦しを求めたとき(そして求めなかったときにさえ)、イエスは自ら近づいて、その罪を赦されました(マルコの福音書 2:5)。

もはや人々が神殿に出向いて罪の赦しや癒しを受ける必要はありません。イエスにおいて、神殿のほうが人々のもとへ来てくださったのです。ヨハネは、イエスが私たちの間に「幕屋を張られた」と語っています。もっとも、お手元の聖書ではその言葉が「住まわれた」と訳されているかもしれません(ヨハネの福音書 1:14)。イエスのご生涯は、求める者すべてのすぐそばにエデンの園を運んできました。新しい世界の中心として、イエスは私たちが神の臨在と力に近づく道そのものを表しておられます。イスラエルが神殿の象徴的な水をくぐり抜けたように、私たちはイエスの十字架の血をくぐり抜けるのです。そこで与えられる出入りの権利は一時的なものではなく、神とともにある永遠のいのちを確かに保証してくれます。

そして、私たち自身もまた神殿です(コリント人への手紙Ⅰ 6:19)。正しく整えられた世界を映す、新しく生きたひな型なのです。ソロモンやアダムとイブのように、神が私たちの内で治めてくださるからこそ、私たちは神とともに治める者となります。どこへ行こうとも、私たちは神の国の前哨地となり、園の若木となるのです。ペテロは私たちを、新しい神殿の生ける石と呼びました(ペテロの手紙Ⅰ 2:5)。パウロは、私たちは神の生ける建物であり、れんがを一つ一つ積み上げるようにして神の国の現実と臨在を伝えていくのだと語ります(コリント人への手紙Ⅰ 3:9〜10)。あの神殿よりも美しく、あなたは、神の園のそれぞれの部分と同じように、世界を造り変えるという神の良いご計画の一部となるようデザインされているのです。

ご自分の目で確かめてみましょう

どうか聖霊が目を開いてくださり、ご自分の神殿に住まわれる神を見ることができますように。そして、私たちを新しい神殿へと造り変え、全地を治める良きご支配に私たちを共にあずからせてくださる方として、イエスを仰ぐことができますように。

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