何が起こっているのでしょうか
ミカ書は三つの訴訟に分けられています。最後の訴訟で神は、イスラエルに対するミカの訴えを聞くようにと山々を呼び出されます(ミカ書 6:1)。山々は、イスラエルの悪と、それに対する神の恵みの両方を、長い年月にわたって客観的に見つめてきた証人なのです。神がイスラエルをエジプトから解放されたとき、山々はそこに立っていました(ミカ書 6:4)。神が誠実にイスラエルを守り、約束の地へと導き入れてくださった様子も、山々は見つめていました(ミカ書 6:5)。神がどれほど恵み深くイスラエルにすべてを与えてくださったかを、山々は見てきたのです。
ここでミカは話を転じ、このような神が民に何を求めておられるのかを問いかけます(ミカ書 6:6a)。ミカの時代の指導者たちは、神がますます豪華な犠牲を望んでおられると思い込み、宗教的な負い目を清算しようと、自分の子どもまで供物としてささげました(ミカ書 6:6b-7)。しかし神が望まれるのは、正義と優しさ、そして神の前における真の謙遜でした(ミカ書 6:8)。
それができなかったエルサレムの指導者たちに、神は、彼らの悪に対してはまだ正義の裁きが少なすぎると告げられます(ミカ書 6:10)。正義が行われる時が来たのです。神は、都の城壁の内側にいる腐敗した者、暴虐な者を無罪とはされません(ミカ書 6:11〜12)。むしろ、皮肉な形での正義がエルサレムの営みに刻まれます。食べても満腹にはならず(ミカ書 6:14)、種を蒔いても刈り入れることはなく、ぶどう酒を造ってもそれを味わうことはありません(ミカ書 6:15)。そしてやがてエルサレムは、神の手によって自らを滅ぼしていくのです(ミカ書 6:16)。
続いてミカは、イスラエルの嘆きを自らのものとして担います。イスラエルは、いちじくを求めながら葉っぱしか見つけられない人のようだ、と彼は言います(ミカ書 7:1)。どこを探しても、正しい指導者も神を敬う支配者も見つからないのです(ミカ書 7:2)。そこでミカは、神の救いの日を希望のうちに待ち望みます(ミカ書 7:7)。
ミカは、イスラエルがその罪の代価を払わねばならず、エルサレムが陥落することを知っていました。しかし同時に、いつの日か神がイスラエルの訴えを取り上げ、これまで受けてきた苦しみのすべてに対して光と正義をもたらしてくださることも知っていました(ミカ書 7:9)。神がイスラエルの地を回復し、地上のすべての国々がその境の内に安全と平和を見いだすようになると、ミカは確信していたのです(ミカ書 7:11〜12)。羊飼いのように、神はご自分の群れを、新しく、より広く、より平和な牧場へと導かれます(ミカ書 7:14)。そして羊飼いのように、神の羊を襲おうとする蛇のような敵をことごとく踏み砕かれるのです(ミカ書 7:16〜17)。
福音はどこにあるのでしょうか
ミカが待ち望んだ神の救いの日、それはイエスが神殿で台をくつがえされた日でした。その行動によってイエスは、イスラエルの真の王としてふるまい、この国の腐敗した指導者たちと、彼らの偽善的な神への賛美を断罪されたのです(マタイの福音書 21:12〜13)。ミカと同じように、イエスもエルサレムに来られ、指導者たちの間に真の賛美と正義を探し求められました。しかし見いだしたのは蛇の姿だけでした(マタイの福音書 12:34)。だからこそ福音書の多くの記述では、神殿を訪れた直後に、イエスが実のないいちじくの木に出会われるのです(マタイの福音書 21:19a)。イエスは、神を敬う指導者を探しながらも見いだせないミカのような方なのです。
そしてミカが予期したとおり、エルサレムとその指導者たちは断罪されます。神殿の未来を示す預言的なしるしとして、イエスはいちじくの木を呪われ、木は枯れてしまいました(マタイの福音書 21:19b)。後にイエスは、エルサレムの神殿の石が一つも積み重なったまま残らないと預言されます(マタイの福音書 24:2)。エルサレムの指導者たちと、偽りの宗教のために建てられたその記念物は崩れ落ち、それに代わって、イエスはご自身のうちに新しい神殿を建てられるのです(ヨハネの福音書 2:19)。
十字架でのイエスの死は、エルサレムと、その指導者たち、そして偽りの賛美がたどる運命を、そのまま身に負うものでした。イスラエルの王であるイエスは、エルサレムの訴えを引き受け、積み重なったその罪のために死んでくださいます。しかし闇からよみがえられたとき、イエスはご自分の民のすべてを、光と正義、真の賛美と赦しの中へと引き上げてくださるのです。
ミカという名は「神のような者はだれか」という意味です。その答えは――ミカの神のような方はどこにもいない、というものです(ミカ書 7:18)。歴史をまるごと埋め尽くすほどの不従順のあとで、なお赦す神は他にいません。愛を喜びとし、怒りをいつまでも保たれない神は他にいません(ミカ書 7:18)。過ぎ去った罪を海の底に投げ込み、すべての国々をご自分の新しい御国へと招かれる神は、イエスのほかにいないのです(ミカ書 7:19)。
ご自身の目で見てみましょう
悪を裁かれる神を見る目を、聖霊が開いてくださいますように。そして、罪ある者を弁護し、赦しを与えてくださる方としてのイエスを、仰ぎ見ることができますように。


