ここで何が起きているのでしょうか
エルサレムを囲んでいた城壁は打ち砕かれて瓦礫の山となり、門は焼かれて灰になっていました。エルサレムにおける守りと平和への希望は、城壁とともに崩れ落ちてしまったのです。しかしネヘミヤは、ペルシアの王からの権限を証明する手紙、武装した護衛、そして城壁を再建するための資材を携えて、エルサレムへと近づいていきます(ネヘミヤ記 2:9)。
ところが、ネヘミヤの働きはただちに反対を受けます。サヌバラテとトビヤという二人の敵は、ネヘミヤがイスラエルの民を助けに来たことに激しく腹を立てました(ネヘミヤ記 2:10)。ヨシュアの時代にイスラエルが最初に追い出した敵たちと同じように、この新たな敵たちも、神がご自分の民に約束の地として与えられた土地に住みつき、そこを去ろうとしないのです。
それを意識していたネヘミヤは、荒廃したエルサレムの町を三日間、ひそかに偵察します(ネヘミヤ記 2:11)。これはヨシュアがエリコで用いたのと同じ手法でした(ヨシュア記 2:22)。ネヘミヤは新しいヨシュアであり、神の敵から約束の地を取り返そうとしているのです。ただ違うのは、敵の城壁を崩して勝利するのではなく、イスラエルの城壁を築き上げることによって勝利を得ようとしている点です。ヨシュアと同じように、ネヘミヤも「立ち上がれ。神が成功を与えてくださる」と告げて人々を励まし、結集させます(ヨシュア記 6:16)。そして反対にもかかわらず、民全体が城壁と門の再建に取りかかったのです(ネヘミヤ記 3:1)。
サヌバラテとトビヤは怒り狂います(ネヘミヤ記 4:1)。彼らはアラブ人やアシュドデ人と共謀して、ネヘミヤを阻止しようとします(ネヘミヤ記 4:7)。四つの国の軍勢がエルサレムを北・南・東・西から取り囲み、城壁を築く者たちへの奇襲を企てました(ネヘミヤ記 4:11)。
しかしネヘミヤが祈ると、神は敵の陰謀を明らかにされます(ネヘミヤ記 4:15)。敵が襲いかかる前に、ネヘミヤは働き手一人一人に武器を持たせ、一方が城壁を守り、もう一方が築くという交替の体制を整えました(ネヘミヤ記 4:18、22)。奇襲の要素が失われたことで、神の民は敵の計画を挫き、少しずつ城壁を建て直していったのです。
福音はどこにあるのでしょうか
イスラエルの預言者たちは、エルサレムの城壁が廃墟となった後、神がそれを建て直してくださると約束していました(イザヤ書 44:26)。預言者ゼカリヤは、神がご自分の都を火の城壁のように取り囲まれる日を描いています。神はその栄光のすべてをもって、民とともに住まわれるのです(ゼカリヤ書 2:5)。城壁の再建は、イスラエルを敵から守っただけではありません。その城壁は、彼らが神のもとに近く生きることを確かなものにしたのです。
私たちも皆、そのような城壁のある都を願うべきではないでしょうか。完全に安全が守られ、神の力とご臨在の近くにいられる都です。その都は、イエスによって確保されました。イエスは敵の計画を挫いてくださったのです。そしてネヘミヤと同じように、ご自分の民を万全に武装させてくださいました(エペソ人への手紙 6:10〜11)。今、神の都は私たちの内に、また私たちを通して建てられつつあります(ペテロの手紙Ⅰ 2:4〜5)。そして間もなく、イエスは火をもって来られ、その栄光のすべてをもって民とともに住まわれるのです。
イエスが最後に築かれる都は、焼け落ちた瓦礫を寄せ集めたものではなく、宝石と貴金属で建てられます(ヨハネの黙示録 21:18)。門は巨石のような大きさの真珠やエメラルドから切り出されます(ヨハネの黙示録 21:21)。ここに込められた象徴的な意味は、イエスがご自分の民を養い守るために、いっさい惜しむことをなさらないということです。そして何よりも良い知らせは、この天の城壁に設けられた門が決して閉じられることがない、ということです(ヨハネの黙示録 21:25)。来たるべき神の国には、敵もなく、脅かすものもなく、危険もなく、私たちをイエスとの永遠の親しさと住まいから引き離すような陰謀も、もはや存在しないのです。
ご自分の目で確かめてみましょう
危険からご自分の民を城壁で囲って守られる神を見ることができるよう、聖霊が目を開いてくださることをお祈りします。そして、私たちがとこしえに安らかに主とともに住む最後の都を建てる方として、イエスを仰ぐことができますように。

