何が起こっているのでしょうか
神は、イスラエルを支配する新しいペルシアの王の心を動かされます。王は追放された民の一団を送り出し、神殿へ帰らせ、彼らの律法が求めるすべてに従わせようとします(エズラ記 7:6)。イスラエルにもう一度その神を賛美させたいと願ったのです。とはいえ、ペルシアの王は保険をかけていただけでした。イスラエルの神の怒りが自分と自分の王国に及ばないようにしたかったのです(エズラ記 7:23)。しかし、王が政治的な打算で動いていたその一方で、神はご自分の民を神へと立ち返らせる道を備え、計画しておられました。
こうして王は、イスラエルの律法に精通したエズラを遣わし、長い追放の後にあるイスラエルに、彼らの神に従う道を教えさせます(エズラ記 7:6a)。そして神はエズラに伴われます。従順を教え、神の怒りを遠ざけるために必要なものは、何であれ彼に与えられました(エズラ記 8:22)。実のところ、問題が起こるたびに神が備えてくださるのです。エズラがイスラエルに着いたとき、神殿で務めを果たせる資格のある祭司が一人もいないことに気づきます(エズラ記 8:15)。しかし神は祭司を備えられました(エズラ記 8:18)。そしてエルサレムは、エズラが教えた律法にしたがって、従順に犠牲をささげます(エズラ記 8:35)。
神の計画は進んでいます。ところがエズラは、イスラエル人がその地に住む偶像礼拝の民と、律法に反して結婚していたことを知ります(エズラ記 9:2)。イスラエルの歴史において、このような結婚と不従順はいつも手を携えてきました。こうした偶像礼拝との結婚は、そもそもイスラエルが追放された理由の一部でもありました。そして今また、神の怒りの新たな波を招く恐れがあったのです(エズラ記 9:14)。
そこでエズラは、自分の国の罪を嘆き悲しみます(エズラ記 9:6)。エズラが民のために泣き、嘆く姿を見て、多くのイスラエル人が彼のもとに集まってきました(エズラ記 10:1)。彼らは自分たちの罪を認め、何をなすべきかを悟ります(エズラ記 10:2)。律法に反して結婚した者たちは、その配偶者と別れ、ただ神にのみ誠実と従順をささげなければなりません(エズラ記 10:3)。悔い改めとリバイバルが起こります。イスラエルは罪深い結婚を離れ、あらためて神に自らをささげ直したのです(エズラ記 10:17)。神の計画は進んでいるのです!
福音はどこにあるのでしょうか
神の律法は結婚の誓いのようなものであり、イスラエルにとって神は、繰り返し裏切り続ける花嫁に怒る夫のような方です。イスラエルの偶像礼拝との結婚は、神に対して立てた誓いを退けることでした。神は怒っておられます。もしイスラエルが神との関係の回復を望み、神の臨在が神殿に戻ることを願うなら、民は偶像礼拝との結婚を断ち切り、自分たちの誓いを思い起こさなければなりません(エズラ記 10:14)。ほかの者を退けて一人の配偶者に誠実であることがなければ、結婚には何の意味もありません。同じように、民がほかの恋人やほかの神々と結びついているなら、神殿があり、祭司がおり、犠牲がささげられていても、それには何の意味もないのです。神の臨在は従順を求めます。
人間の結婚は離婚で終わることがありますが、神に対する私たちの不誠実は死と追放に行き着きます(ローマ人への手紙 6:23)。しかしエズラが指摘したとおり、神はイスラエルを、その罪に見合った仕方で扱われませんでした(エズラ記 9:13)。彼らの裏切りをすべて知りながら、神は誠実な愛を示されたのです。神は彼らを本来の故郷へ連れ戻し、誓いを思い起こさせる教師を与え、汚点だらけの歴史にもかかわらず、ご自分の神殿を臨在で満たすと約束してくださいました(エズラ記 9:8)。
そして、神がエズラにおいて始められたことを、イエスにおいて成し遂げられました。イスラエルが神殿に満ちることを望んでいたその臨在が、人となって私たちの間に住まわれたのです(ヨハネの福音書 1:14)。エズラもペルシアの王も期待していたとおり、イエスは私たちの罪に見合う怒りをもたらすために来られたのではありません(ヨハネの福音書 3:17)。私たちの根深い不誠実をすべて知りながら、イエスはご自分の花嫁を救い、その怒りを終わらせるために死んでくださいました(ローマ人への手紙 5:9)。
そして今度は、イエスのご自分の民に対する誠実さが、イスラエルがついになれなかった誠実な花嫁へと私たちを造り変えるのです(エペソ人への手紙 5:25〜27)。私たちは今、愛に満ちた主の臨在で満たされています。私たちは新しい、傷のない神殿です。そして夫として語られる力強い愛のことばによって、私たちはほかのすべての配偶者を退け、自分たちの誓いに誠実であり続け、神の前に責められるところのない清い者とされているのです。
ご自身で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、すべての不誠実に対して怒りをもって立たれる神を見ることができますように。そして、私たちをご自分の誠実な花嫁とするために、私たちが受けるべき怒りを愛のうちに引き受けてくださった方として、イエスを見ることができますようにと祈ります。

