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デボーション

エレミヤ書 37〜39章

穴の中の預言者

エレミヤ書 37〜39章から、イエスこそ穴からよみがえられた神の究極の預言者であることが見えてきます。イエスは、責め立てられ、打ち砕かれたと感じるすべての人を助け、救い出し、復活のいのちを与えようと、今も待っておられます。

ここで何が起きているのでしょうか

ユダの首都は、超大国バビロンによって何か月も包囲されていました。ところが突然、バビロン軍が撤退します。それを見たユダの臆病な王ゼデキヤは、神の預言者エレミヤのもとに赴き、次にどうすべきか助言を求めました(エレミヤ書 37:1〜5)。エレミヤの答えは、バビロンの撤退は一時的なものにすぎない、というものでした。バビロンは必ず戻って来て、この都を焼き払うのです。そうではないと語る預言者はだれであれ退け、救いを望むなら悔い改めなければならない、とエレミヤは告げます(エレミヤ書 37:6〜10)。しかし王はそうしませんでした。それどころか、ゼデキヤの近衛隊長はエレミヤを脱走者だと訴え、地下牢に投げ込んでしまいます(エレミヤ書 37:11〜16)。数日後、王はひそかにエレミヤを呼び出します。バビロン軍が戻って来たため、戦いの結末について神がエレミヤに新しい示しを与えていないかと思ったのです。エレミヤは以前と同じことを繰り返し、さらに王自身がやがてバビロンの捕虜になると告げます。ユダが生き延びることを願うなら、王はバビロンに降らなければならないのです(エレミヤ書 37:17)。そのうえでエレミヤは、もっとまともな扱いを求めます。脱走という偽りの罪で訴えられただけでなく、王の他の助言者たちと違って、自分の預言はすべて実現してきたからです。しかし王は、またしても神の預言者に耳を傾けようとせず、隊長の決定を覆すこともしません。エレミヤを解放する代わりに、地上にある監視の庭に移し、毎日パンを与えるようにと命じただけでした(エレミヤ書 37:18〜21)。 

監視の庭にいながらもエレミヤは語り続けます。どんな軍事的手段も成功しない。エルサレムは滅びる。都の民に残された唯一の希望は降伏することだ、と(エレミヤ書 38:1〜3)。王の家来たちは、エレミヤの敗北主義が兵士たちの士気をそいでいると王に訴え、彼を死刑にすべきだと迫ります(エレミヤ書 38:4)。家来たちに逆らうのを恐れた王は、エレミヤを空の穴に投げ込み、泥の中で死ぬにまかせることを許してしまいます(エレミヤ書 38:5〜6)。しかし、王に仕える外国人の役人の一人がエレミヤの無罪を訴えると、王はそれを受け入れ、彼を穴から引き上げるよう命じました(エレミヤ書 38:7〜13)。

王は再びエレミヤを呼び、神から新しいことばがないかと尋ねます(エレミヤ書 38:14〜16)。しかしエレミヤの答えは同じでした。エルサレムは滅びる。降伏するしか道はない、と(エレミヤ書 38:17〜19)。王は、神の助言に従うのは怖いと言います。それでもエレミヤは、降伏するなら神が王自身と家族、そして王が治める都を守ってくださると保証します(エレミヤ書 38:20〜23)。けれども、エレミヤのことばに従って動くことがどうしても恐ろしく、ゼデキヤは彼にこの話を秘密にするよう誓わせました(エレミヤ書 38:24〜28)。それからわずか数日後、バビロンはエルサレムの防備を突破し、王をバビロンの牢に引いて行き、エルサレムを焼き払い、最も貧しい者たちを除くすべての民をバビロンへ連れ去ります。エレミヤが語ったとおりでした(エレミヤ書 39:1〜10)。追放を免れてエルサレムに残された王宮の関係者は、エレミヤと、彼のことばに耳を傾けて穴から救い出したあの外国人の役人だけでした(エレミヤ書 39:11〜18)。 

福音はどこにあるのでしょうか

エレミヤの投獄とゼデキヤの没落は、創世記のヨセフの物語と重なり合っています。エレミヤもヨセフも、穴に投げ込まれました(創世記 37:24)。二人とも、それぞれの国の王に呼び出されます(創世記 41:14)。二人とも、近衛隊長によって偽りの罪で訴えられます(創世記 39:20)。二人とも、これから起こることを語ります(創世記 41:25〜27)。そして二人とも、外国人によって囚われの場から救い出されます(創世記 41:9〜13)。エレミヤの物語でもヨセフの物語でも、王が預言者のことばに耳を傾けるかどうかが、国の行く末を決めました。ファラオはヨセフのことばを聞いて従い、エジプトはききんを生き延びました(創世記 41:56〜57)。しかしゼデキヤは三度にわたってエレミヤのことばを聞くことを拒み、エルサレムは焼かれてしまいました。どちらの物語でも、穴の中にいる神の預言者を見分けてそのことばに従うかどうかが、一つの国の運命を左右したのです。私たちは、臆病なゼデキヤよりも、耳を傾けたファラオのようでありたいと願うのではないでしょうか。

私たちにも、攻め立てられ包囲されているように感じる状況や、自分ではとても手に負えない力に踏みつぶされた都の、望みを失った住民のような思いをする時があります。神の招きは、ファラオやゼデキヤに対するものと変わりません。私たちも、神の預言者に、すなわち神の預言者であるイエスに聞き、従わなければなりません(ヘブル人への手紙 1:1〜3)。ヨセフやエレミヤと同じように、イエスもまた、生きる道はより大きな力に自分をゆだねることしかないと告げられました(マタイの福音書 22:37)。そして、その預言のゆえに、先に立った預言者たちと同じように、イエスも墓となるはずの穴へと降ろされました(ヨハネの福音書 19:38〜42)。しかし神は、ヨセフとエレミヤを囚われの場から引き上げられたように、イエスを死者の中からよみがえらせてくださいました(マタイの福音書 28:6)。イエスこそ、穴からよみがえられた神の究極の預言者です。そして、責め立てられ、打ち砕かれたと感じるすべての人を助け、救い出し、復活のいのちを与えようと、今も待っておられます。ですから、イエスを神の預言者として受け入れ、その支配に自分をゆだね、そのことばに従い、救い出されることを体験してみましょう。 

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、ご自分のことばに信頼する者を救い出してくださる神を見ることができますよう祈ります。そして、私たちすべてをご自分と共にいのちへとよみがえらせるために、死者の中からよみがえられた方として、イエスを仰ぎ見ることができますように。

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