何が起こっているのでしょうか
イスラエルは、暗闇の世界を照らす光となるはずでした。その生き方によって、悪と憎しみに満ちた世に、神のいつくしみと慈悲を示すはずだったのです。ところがイスラエルは、周囲の国々と同じように暗くなってしまいました。そこで神は、光となるべき地から彼らを取り去り、彼らが自ら選んだ国々の暗闇へと追放されました。それでもイザヤは、「しもべ」と呼ばれる選ばれた指導者を通して、神が彼らを暗闇から救い出し、光の地である約束の地へ連れ戻してくださる、と約束したのです。
イザヤは、この「しもべ」を私たちに紹介します。しもべは、地の果ての暗い国々に住む人々に語りかけます。イザヤがずっと強調してきたように、神は起こる前にご自分の民に何が起こるかを告げられます。ですから、このしもべは生まれるはるか以前から知られ、選ばれているのです(イザヤ書 49:1、5)。神が世界の創造のときに光を語り出されたのと同じように、しもべはただ語ることによってイスラエルの暗闇を貫きます(イザヤ書 49:2)。イスラエルが果たせなかった諸国に対する目的を、しもべが成し遂げるのです(イザヤ書 49:3)。しもべはまた、イスラエルを暗い国々から救い出し、光の地へ連れ戻します(イザヤ書 49:6前半)。しかし、このしもべが民を救うその方法は、敗北のように見えるものでした(イザヤ書 49:4)。しもべはイスラエルの痛みと追放にご自身を結び合わせることによって彼らを解放し、暗闇の世界がずっと必要としてきた光を現すのです(イザヤ書 49:6後半)。しもべは、暗い国々の中で最も深く辱められ、まったく失われた者たちを救い出し、王とし、君主とされます(イザヤ書 49:7〜12)。あまりにすばらしい知らせなので、ふさわしい応答は、天がこぞって喜び歌い、地そのものが歌い出すことしかないのです(イザヤ書 49:13)。
ところがイスラエルは、神が自分たちを追放のうちに捨てたのだから、もはや愛してくださるはずがないと考えます。国家としての死と、辱めに満ちた追放こそ、神が自分たちを忘れ、見捨てた証拠だと思ったのです(イザヤ書 49:14)。しかしイザヤはこう言います。ありえないのは神が救ってくださることではなく、神が救うのをご自分でとどめることなのだ、と。神は、お腹をすかせた乳飲み子のことを思わずにはいられない母親のようなお方です(イザヤ書 49:15)。神は愛によってご自身をイスラエルに結びつけ、その名を手のひらに刻みつけられるほどでした(イザヤ書 49:16)。イスラエルの追放は、神の救いを不可能にするどころか、いっそう美しいものにします。神のしもべは、花嫁であるイスラエルを、数えきれないほどの子孫で飾ってくださるのです(イザヤ書 49:18)。しもべを通して、追放の地で生まれた子どもたちがイスラエルを満たし、あふれるほどになります(イザヤ書 49:19〜21)。どんな帝国も軍隊も、しもべがご自分の民を救い出すのを阻むことはできません。神はご自身をとどめることができず、また、神がご自分の民を暗闇から光の地へ導き出すのを、だれも押しとどめることはできないのです(イザヤ書 49:24〜26)。
福音はどこにあるのでしょうか
神は、ご自分の民への押しとどめようのない愛によって、イザヤが語ったあの「しもべ」として、御子ご自身を遣わされました(ヘブル人への手紙 10:5〜7)。イエスこそ、地上に生まれるはるか以前から神に知られ、イスラエルを救うために選ばれたしもべです。初めに光を創造された神のことばであるイエスは、ご自分の民に「わたしは世の光です」と告げられました(ヨハネの福音書 8:12)。イエスは暗闇に打ち勝ち、世界中から人々をご自分の光の中へ導き入れてくださるのです(ヨハネの福音書 1:4〜5)。
けれどもイザヤが預言したとおり、しもべは敗北に見える方法でご自分の民を救います。イエスは、民の追放と苦しみにご自身を結び合わせられました。死に至るまで民を愛することを、ご自分でとどめることができなかったからです(ヨハネの福音書 15:13、ローマ人への手紙 5:8)。しかもイエスは、その手に釘を打ち込ませることさえ許され、永遠の愛の刻印を刻まれたのです。しかし神は、イスラエルを追放のうちに捨て置かなかったのと同じように、イエスを墓に捨て置かれませんでした(使徒の働き 2:27)。神はイエスを墓からよみがえらせ、死のように見えた場所からいのちをお与えになりました。ですから今、死に満ちた私たちを、イエスはご自分のいのちを宿す花嫁へと変えてくださるのです(ローマ人への手紙 6:5、11)。
辱められ、追放されたにもかかわらず、しもべであるイエスは王の王となられました。そして今、イエスは世界中でご自分の子どもたちを増やし続けておられます。ますます多くの人々がイエスに結ばれ、諸国は神の子どもたちであふれ返っています(ヨハネの福音書 1:12、ヨハネの手紙Ⅰ 3:1)。今、このしもべに従う私たちが、イエスご自身の光へと造り変えられているのです。イエスは、母が子を養うように私たちを養い、支え、ご自身そのものを与えてくださいます(ヨハネの福音書 6:57、ペテロの手紙Ⅰ 2:2〜3)。しもべが聖霊によって私たちのうちに生きておられるので、私たちは今、世界の最も暗い隅々にまで神の光を運ぶ、神のしもべとされています(ペテロの手紙Ⅰ 2:9)。そしてこの使命の中で、イエスはいつも私たちとともにいてくださいます(マタイの福音書 28:20)。神が私たちを見捨てられないと分かるのは、私たちのしもべであり王であるイエスが、すべての国民を神の光の地へ導き入れるために、私たちの追放の中に入って来てくださったからです。
自分の目で確かめてみましょう
ご自分の民への愛をとどめることのできない神を見ることができるよう、聖霊が目を開いてくださるようお祈りします。そして、決して私たちを見捨てないしもべであるイエス、暗闇から私たちを救い出す世の光であるイエスを、仰ぎ見ることができますように。

