何が起こっているのでしょうか
北の王国イスラエルはシリアと同盟を結び、南のユダを倒そうと企てていました(イザヤ書 7:1〜2)。この連合軍は少し前に、ユダの兵士およそ十二万人を打ち殺し、女と子どもを二十万人以上も捕虜として連れ去っていました。ユダの王アハズは、かろうじて首都を保っているだけの状態でした(歴代誌Ⅱ 28:1〜8)。追い詰められたアハズは、イスラエルとシリアの手からユダを救ってもらおうと、アッシリアと書簡のやり取りを始めます。しかし預言者イザヤは、その行動をとがめるためにアハズの前に立ちます。イザヤは自分の息子まで連れて行きました。その子には「残りの者は帰る」という預言的な名がつけられていて、神がシリアとイスラエルの手からユダに残りの者を守ってくださるしるしとなっていたのです。アッシリアと同盟を結ぶのではなく、アハズは神に信頼すべきでした(イザヤ書 7:3〜4、7〜9)。イザヤはさらに、神が敵を打ち破ってくださる証拠として、神にしるしを求めるようにとアハズに告げます(イザヤ書 7:10〜11)。ところがアハズは、すでにアッシリアと同盟を結ぶと心を決めていました。アハズは、いかにも敬虔そうに「そのようなことで神を試すつもりはありません」と答えます。しかしイザヤはその見せかけの信仰を見抜き、それでもしるしを与えるのです(イザヤ書 7:12〜13)。イザヤは言います。一人の若い女が男の子を産み、その子は「神が私たちとともに」(インマヌエル)と名づけられる、と。そして神は、その子が大人になる前にアハズの敵は滅ぼされると約束されます(イザヤ書 7:14〜16)。しかしユダがアッシリアとの同盟を続けるなら、アッシリアはアハズを裏切ってユダに侵入し、この地を荒れ果てさせるでしょう(イザヤ書 7:17〜25)。神がアハズにインマヌエルという名の子のしるしを与えて間もなく、イザヤと妻に息子が生まれ、二人はその子を「すばやい略奪」と名づけます(イザヤ書 8:1〜3)。インマヌエルと同じように、神はこの子が大人になる前にアハズの敵は滅ぼされると約束されます。同時に神は、ユダが自分たちの守りを神に委ねることを拒み、代わりにアッシリアに走るなら、アッシリアはユダを裏切り、その地を略奪すると警告されます(イザヤ書 8:5〜8)。
それでもイザヤは、略奪されるユダの地を「インマヌエルの地」と呼び、ユダを略奪する外国の軍勢はことごとく最終的に滅ぼされると預言します。神がご自分の民とともにおられるからです(イザヤ書 8:9〜10)。こうしたすべてを思いめぐらしながら、イザヤはユダに、自分たちの歴史を支配しておられる神に信頼してほしいと願います。恐れに基づいて決断し、アッシリアに走るのではなく、自分たちの未来を知っておられる神に信頼すべきなのです(イザヤ書 8:12〜15)。イザヤ自身にとっても、「すばやい略奪」と「残りの者は帰る」という二人の息子は、たとえユダが荒廃しても神がともにいてくださるという希望を与えてくれました(イザヤ書 8:16〜18)。ユダの状況は暗く見えますが、イザヤは約束します。やがて神の民に光が輝き出し、圧迫という重い重荷は打ち砕かれ、血にまみれた軍靴はすべて焼かれて忘れ去られる、と(イザヤ書 9:1〜5)。ユダの圧迫と暗闇に終わりが来るのは、大きな戦いや力の誇示によってではなく、弱さの中で、一人の幼子が生まれることによってなのです(イザヤ書 9:6)。その子はユダの王座に着き、この幼子が単なる王ではなく、神ご自身であり、地上に永遠の王国を築かれる方であることを、すべての人が知るようになります(イザヤ書 9:7)。ユダの状況は暗くても、イザヤは知っていました。それは一人の幼子の誕生と、神の栄光に輝く支配とに行き着くのだと。
福音はどこにあるのでしょうか
やがて、イザヤが預言したその子が生まれました。若い女から自然に身ごもられたのではなく、マリアという処女に奇跡によって宿ったのです。イザヤの場合と同じように、神はこの子にも預言的な名を与え、マリアはその子を「神は救う」、すなわちイエスと呼びます。しかしイエスは、象徴的な名を持つもう一人の子どもというだけではありませんでした。イエスは神ご自身であり、肉体をとられたインマヌエルだったのです。イザヤの子どもたちが指し示していた幼子であり、イザヤが必ず輝き出すと知っていたあの光でした(ヨハネの福音書 1:5)。その誕生は、神が来られて、民の重い重荷を打ち砕き、圧迫を終わらせ、神の民に平和をもたらしてくださることを告げるものでした(ルカの福音書 4:16〜21)。
私たちの世界も、ユダの時代と変わらないほど揺れ動いています。アハズのように、私たちも神への信頼を、抜け目のない政治的・思想的な同盟に置き換えたい誘惑を覚えるものです。生き延びるためには火には火を、力には力をもって対抗しなければならない——そう思い込むのは簡単でしょう。けれども神は、弱い一人の幼子が神の民を勝利へ導くと約束されました。イエスが大人になられてからも、その最大の勝利は弱さを通して成し遂げられたのです(コリント人への手紙Ⅱ 13:4)。イエスは自ら death ではなく、あえて死を受け入れられましたが、墓を略奪し、三日後にすばやくよみがえられました。今、イエスは王座に着いておられます。今やすべての政府はこの方に従うべき立場に置かれ、世界中の人々がイエスを王、力ある神、平和の君と呼んでいます。私たちに敵対して結束する力を恐れる必要はありません。神が私たちとともにおられるからです。神は残りの者を守り、私たちの敵をすばやく略奪してくださったのです。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、私たちに一人の幼子を与えてくださった神を見ることができますように。そして、私たちの暗闇を終わらせ、平和をもたらすために生まれてくださった方として、イエスを仰ぐことができますように。

