何が起こっているのでしょうか
イザヤはたった今、神の永遠の国について語り終えたところです。その国では、神の民が平和と豊かさのうちに永遠に生き、苦しみも死もありません。ところがイスラエルは神に背き、その国を拒みました。そこでイザヤはイスラエルに、悔い改めなければ神の国から永遠に締め出されてしまうと警告します。幻の中で、見張り人が遠くに一人の勇士を見つけます。赤い衣をまとい、エルサレムへと進んで来ます。近づくにつれ、見張り人はその衣の赤が血であることに気づきます。「あなたは誰なのか。なぜ血まみれなのか」と問うと、その勇士は「わたしは神である。この血は敵の血だ」と答えます(イザヤ書 63:1〜6)。この短い幻は、神が世界中の悪を徹底的に滅ぼされることを描いています。それは、イスラエルが自分たちの悪と反逆、そして神に逆らう頑なさを悔い改めなければ、戦場で神と対峙することになるという警告なのです。
続いてイザヤは長い嘆きの中で、神がご自分の民の間から姿を消してしまわれたように思える、と悲しみます。かつて神は、あわれみと救いの力をイスラエルに繰り返し注いでくださいました(イザヤ書 63:7〜10)。ファラオの手から解き放ち、海の中を通らせ、御霊によって荒野を導かれたのです(イザヤ書 63:12〜14)。それなのになぜ、神はイスラエルを今の苦境に置き去りにされたように見えるのでしょうか(イザヤ書 63:15〜16)。なぜ、愛する民が道徳的にも霊的にも暗闇へと落ちていくのを放っておかれるのでしょうか(イザヤ書 63:17〜19)。イザヤは願います。どうか天を裂いて降り、イスラエルの敵を滅ぼし、かつてのようにご自身を現してくださいと(イザヤ書 64:1〜4)。しかしそう口にした瞬間、イザヤは気づきます。もし神が「天を裂く方」として現れるなら、イスラエルに希望はありません。イスラエルは邪悪と悪に満ちており、最善の行いさえ神の前では汚れたぼろ布のようなのです(イザヤ書 64:5〜7)。そこでイザヤは神に願います。あなたは悪と戦う勇士であるだけでなく、私たちを愛してくださる神であることを思い出してくださいと。民の罪と悪がもたらした荒廃をご覧ください、もう離れたままでいるのをやめて、愛をもって民のもとを訪ねてくださいと訴えるのです(イザヤ書 64:8〜12)。
しかし神はこう答えられます。わたしは何度も何度も愛をもって民のもとに来た。けれども拒まれ続けたのだ、と。神が民のもとを離れていたのではなく、民が自分たちを神から切り離していたのです。神はただ、イスラエルが望んだものを与えられただけでした(イザヤ書 65:1〜7、11〜16)。それでもなお、イスラエルの悪が滅ぼされた後に、神は彼らをよみがえらせると約束されます(イザヤ書 65:8〜10)。その日、神は新しくされた民のために新しい世界をも造られます。そこにはもう苦しみも、悪も、脅かす軍隊もなく、死さえありません(イザヤ書 65:20〜25)。そして神の新しい地は、へりくだって悔い改める者すべてのものとなるのです(イザヤ書 66:1〜4)。やがてイスラエルの中から、すべての罪と悪が追い払われます(イザヤ書 66:5〜6、24)。しかし神はその廃墟からご自分の国を建て直され、平和はイスラエルだけでなく全地に永遠に行き渡ります(イザヤ書 66:7〜23)。神は一度もご自分の民のもとを離れたことはなく、やがて再び、その愛を民に示してくださるのです。
福音はどこにあるのでしょうか
イザヤは神に、天を裂き、イスラエルの悪を滅ぼし、かつてのようにご自身を現してくださいと願いました。それに対して神は、間もなく愛をもって民のもとに来て、罪深い状態から民を起き上がらせ、彼らが住む新しい地を造ると答えられました。そして神は、イエスというお方として民のもとに来てくださったのです。イエスこそ、イザヤが祈り求めた「天を裂く方」でした。イエスは天国から降り、勇士のようにイスラエルの内なる悪に向かって進み、死に攻め入り、そのすべてに勝利して墓からよみがえられました。その復活によって、イエスは死も脅かす軍隊も覆すことのできない、新しい永遠の国を打ち立てられたのです(ヨハネの福音書 18:36)。さらに、神が御霊によってイスラエルを荒野で導かれたように、イエスも、その国が完全に到来するのを待ち望む、へりくだって悔い改めたすべての人を導くために、聖霊を送ってくださいました(ヨハネの福音書 14:15〜31)。
やがてイエスは、赤い衣をまとった勇士として、再びこの地に来られます。その衣は血に染まっていますが、それは十字架でご自身が流された血なのです(ヨハネの黙示録 19:11〜16)。その死と復活によって、イエスは世の悪を征服されました。そして再び来られるとき、私たちのこの悪しき世界の廃墟から、その良い国を建て上げてくださいます。そして平和が全地を永遠に支配するのです。
私たちは邪悪と悪に満ちていることがあり、最善の行いさえ、神の善と力に比べれば汚れたぼろ布のように思えるかもしれません。けれども神は、道徳的な完全さを求めておられるのではありません。ただ、へりくだって悔い改めることを求めておられるのです。これまでの悪と決別しましょう。イエスの国が近づいているのですから。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が、赤い衣をまとわれた神を見る目を開いてくださるよう祈ります。そして、世界と私たちの心から悪を取り除いてくださる勇士としてのイエスを、見ることができますように。

