何が起こっているのでしょうか
すべての律法が与えられた後、民はそれにどう応えるべきかを告げられます。
その地に入ったら、その地の初穂の一部を取って神殿に携え、神にささげるようにと命じられます(申命記 26:2)。供物とともに、賛美をささげる者はエジプトからの救い出しの物語を唱えるのです。この儀式は三年ごとに行われ、神が自分たちのために何をしてくださったか、そして律法において何を求めておられるかを、絶えず思い起こさせるものでした(申命記 26:12)。
次に来るのは、長い祝福のリストと、それよりもさらに長い呪いのリストです。イスラエルが律法を守るなら、記されたすべての祝福を受けます。背くなら、すべての呪いを受けることになります。
祝福を読むと、イスラエルの未来はエデンの園とアブラハムへの約束が完璧に融合したもののように聞こえます。住む地は必要なすべての食物を実らせ(申命記 28:4)、子どもたちは増え、健やかに育ちます。そしてほかのすべての国を超える力を得て、受けた祝福を全世界へと広げていくのです(申命記 28:10)。
一方で呪いは、出エジプト記の災害と民数記の刑罰が入り混じった、いのちを脅かすもののように響きます。律法を守らないなら、かつてのエジプトのように、いなご、暗闇、死、荒廃を経験することになります(申命記 28:27)。さらに、荒野を旅した親たちに下った刑罰が、いっそう激しい形で臨みます。火、疫病、野の獣が彼らを食い尽くすのです(申命記 28:22)。
最も長く、最も強調されている呪いは、神が起こされ、攻め上って彼らを罰することになる敵対する王国についてのものです。エホバを賛美しないその王国が彼らを捕虜として連れ去り、偽の神々を賛美させるというのです(申命記 28:52)。
そしてイスラエルは律法に従わなかったため、これらの呪いはすべて現実となりました。イスラエルはバビロンのような敵対する王国に連れ去られ、約束の地から追放されたのです(ダニエル書 1:1)。
福音はどこにあるのでしょうか
これは私たちの物語でもあります。私たちも神の律法を破っており、同じ呪いをすべて受けるはずの者です。この世ではそれを免れる人もいるかもしれませんが、神は偽りを言われる方ではありません。悪を行うすべての者に対して、正義は必ず行われます。
これらの呪いをすべて読んだ後だからこそ、福音がまことに良い知らせとして輝いて見えてきます。私たちが受けるべきだったこれらの呪いを、イエスは十字架の死によってすべて無効にしてくださいました(コロサイ人への手紙 2:15)。それどころか、イエスは私たちのために呪いそのものとなり、私たちの追放と死のただ中に入って、そこから解き放ってくださったのです(ガラテヤ人への手紙 3:13)。
ですから今、私たちは約束された祝福を読みながら、受けるべき当然の報いではなく、その祝福を待ち望むことができます。この箇所に約束されたすべての祝福を、いや、それ以上のものを受け継ぐのです(コリント人への手紙Ⅱ 1:20)。新しい天と新しい地において、新しく最終的なエデンの園に入ります(ヨハネの黙示録 21:1)。死からも病からも痛みからも解き放たれます(ヨハネの黙示録 21:4)。そして何よりすばらしいのは、イエスとともにいられることです。その地を本当に良いものとするのは、まさにこのことなのです。
ご自身で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、想像を超えた惜しみない祝福を与えつつ、同時にこの世界からすべての悪を清め去られる神を見ることができますように。そして、私たちの悪と呪いを取り除き、ご自身の祝福を私たちに差し出してくださる方として、イエスを見ることができますように。

