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ガラテヤ人への手紙 3章

必要なのは信仰だけ

ガラテヤ人への手紙 3章では、神が聖霊によって心を造り変えることで新しい家族に印を刻まれることが示されています。イエスにあっては、ユダヤ人も異邦人もありません。

何が起こっているのでしょうか?

パウロは、イエスへの信仰だけでは神の家族の一員になれないと考える教師たちのグループに、引き続き反論しています。彼らは、信じる者はヘブライ語聖書の律法に記された、ユダヤ人としての伝統的なしるし、とりわけ割礼も受け入れなければならないと主張していました。しかしパウロは、ガラテヤ人自身の経験に照らせば、それは愚かなことだと語ります。ある人たちは、イエスが自分たちのために死んでくださったのを目の当たりにしました(ガラテヤ人への手紙 3:1〜2)。ほかの人たちは聖霊を受け、奇跡さえ目にしたのです。しかもそのすべては、割礼を受けよとかコーシャーの食事をせよと言われる前に起こりました(ガラテヤ人への手紙 3:2、5)。自分たちの経験に基づいて考えれば、神の家族に入るという祝福を受けるために必要だったのは、信仰だけだったのです(ガラテヤ人への手紙 3:3)。

実際、ヘブライ語聖書が教えているのは、まさにそのことです。最初のユダヤ人アブラハムは、ただ信仰によって神の家族の父祖とされました(ガラテヤ人への手紙 3:6、創世記 15:6)。そして神はアブラハムに、彼と同じように神を信頼することによって、全世界(ユダヤ人もそうでない人も)が祝福されると約束されました(ガラテヤ人への手紙 3:7〜9)。議論になっているしるしの多くを含む申命記さえ、それらの律法に頼る者はだれも神の家族の一員にはなれないと語ります。だれもそれを完全に守れないからです(申命記 27:26、ガラテヤ人への手紙 3:10)。さらにユダヤ人の預言者たちも、公正な人はただ信仰によって生きると語りました(ハバクク書 2:4、ガラテヤ人への手紙 3:11)。ユダヤ人の聖書は、その正典全体が一つに調和しているのです。救うのは信仰であって、一連の律法を守ることや、ユダヤ人としてのしるしを身に帯びることではありません。

より正確に言えば、救うのはイエスへの信仰です。イエスが死なれたとき、主は律法が宣告した呪い——イスラエルの追放、恥、そして死——の中に入られました。それは私たちをあのしるしへ引き戻すためではなく、呪いそのものを終わらせ、アブラハムに約束された祝福を諸国の民にもたらすためでした(ガラテヤ人への手紙 3:13〜14)。信じる者があのしるしをより誠実に守るようになるためではなく、アブラハムに約束された祝福——恵みによって、そしてただ私たちの信仰によって、ユダヤ人もそうでない人々も神の家族に加えられるという祝福——を受けるためだったのです(ガラテヤ人への手紙 3:14)。

パウロの論敵たちは、割礼を求めることこそ神の家族の一員となる唯一の道だと信じていました。しかしパウロは、真実はその逆だと論じます。神はアブラハムに、その子孫であるイエスがやがてその祝福を受け継ぎ、それを世界に与えると約束されました(ガラテヤ人への手紙 3:16、創世記 12:17)。その約束は、ユダヤ人の律法が一つも書かれるより430年も前に与えられたのです。ですから、ユダヤ人の律法によって神の家族の一員となるのだと主張することは、そもそも神の家族を生み出したあの約束を消し去ってしまうことになります(ガラテヤ人への手紙 3:17〜18)。

とはいえ、ユダヤ人の律法が、一つの世界的な家族を造るという神の約束と対立しているわけではありません。ただ、律法が神の家族の一員を生み出すことはできないのです(ガラテヤ人への手紙 3:21〜22)。ユダヤ人の律法は導き手であり、世界的な家族についての神の約束が、やがて来られるアブラハムの子によって実現すると信頼するように人々を導きました。割礼は、その信仰を身体で表したしるしだったのです(ガラテヤ人への手紙 3:19、24)。割礼は十字架と対立するものではなく、世界が神の家族の一員となる道はイエスであるという預言が、ユダヤ人男性一人一人の体に刻まれたものだったのです。

福音はどこにあるのでしょうか?

神の律法は、アブラハムの子らを神の約束を守る者として印づけました。彼らの食べ方、賛美する日、暦、さらには生殖器官までもが、神の約束への信頼を語っていました。しかし、これらの律法が神の家族の一員を生み出すことはできませんでした。神の家族の一員となるには、儀式としての割礼よりもさらに深い造り変えが必要なのです。

私たちは、アブラハムと同じように神の家族へと造り変えられます。神の子への信仰によって、です。その方こそ、私たちがイエスとして知っているお方です(ガラテヤ人への手紙 3:23〜24)。石に刻まれた律法や、刃物で印をつけられた体ではなく、神は聖霊によって心を造り変えることで、新しい家族に印を刻まれます。これこそ、私たちが神の世界的な家族の一員となり、信仰によって神の子どもとなる唯一の道なのです(ガラテヤ人への手紙 3:26)。

神の約束を指し示していたユダヤ人のしるしは、イエスの生涯と死において実現しました。 イエスに結び合わされるとき、私たちは神がアブラハムに与えられた約束を受け、神の世界的な家族の一員となります(ガラテヤ人への手紙 3:27)。イエスにあっては、ユダヤ人も異邦人もありません。奴隷と自由人とで別の福音があるわけではなく、男と女とで別の贖い(あがない)の道があるわけでもありません。私たちはみなイエスにあって一つであり、アブラハム以来ずっと神がご自分の民のために備えてこられた祝福を、みな共に受け継ぐのです(ガラテヤ人への手紙 3:28〜29)。

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、約束を与えられる神を見ることができますようにと祈ります。そして、信仰によって私たちを神の家族へと迎え入れてくださる、約束されたアブラハムの子であるイエスを見ることができますように。

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