何が起こっているのでしょうか
ある教師たちのグループは、イエスを信頼するだけでは足りず、ヘブライ語聖書の律法に記されたユダヤ人としてのしるしを付け加えなければならないと主張していました。しかしパウロにとって、それはイエスがこの世に来てなしてくださったことを小さくしてしまうことでした。
それを説明するために、パウロは神とその民との関係を、大きな財産の相続人である子どもにたとえます(ガラテヤ人への手紙 4:1)。相続人はある時期、奴隷と変わりません。成人するまでは、後見人が「ああしなさい、こうしなさい」と指示するからです(ガラテヤ人への手紙 4:2)。けれども子どもが成人すると、財産や後見人との関係が変わります。もう後見人の指示に縛られることはなく、自分の思いのままに相続財産を用いることができるのです。同じように、ユダヤ人の律法は、相続にともなう祝福を特定の身分のしるしに結びつけていました(ガラテヤ人への手紙 4:3、8〜10)。
しかし神は御子イエスを遣わし、ユダヤ人の律法という「奴隷状態」の下に置かれました。イエスはそのすべての律法に従い通されました。今、イエスこそが財産の主人であり、ご自分を信頼する者をだれでも養子として家族に迎え入れることによって、相続財産を惜しみなく分け与えてくださるのです(ガラテヤ人への手紙 4:4〜5)。つまり神の民はもはやユダヤ人の律法の奴隷ではなく、子どもであり、大きな財産の相続人なのです(ガラテヤ人への手紙 4:6〜7)。私たちは今、神から息子、娘、そして相続人として知られているのですから、かつての信託と後見人との関係を示すしるしをもう一度身につけることには何の意味もありません(ガラテヤ人への手紙 4:8〜10)。いったん自由にされた者が、奴隷の身分に戻ることなどないのです。
パウロは心を痛めています(ガラテヤ人への手紙 4:11、20)。彼はガラテヤ人たちに自由を教え、自分と同じその自由に共に立ってほしいと願っています(ガラテヤ人への手紙 4:12)。最初の出会いのとき、彼らはパウロが重い病に苦しんでいたにもかかわらず、惜しみない寛さと心遣い、そして忍耐をもって彼を受け入れてくれました(ガラテヤ人への手紙 4:13〜15)。パウロは、あれほど深く築かれた信頼が、わずかな教師たちの言葉でどうしてこれほど失われてしまうのかと思い悩みます(ガラテヤ人への手紙 4:16〜17)。母親のような思いで、パウロは自分の子であるガラテヤ人たちに、イエスにあって与えられている自由をもう一度知ってほしいと切に願っているのです(ガラテヤ人への手紙 4:19)。
福音はどこにあるのでしょうか
ガラテヤ人たちは、イエスを信頼するだけで神が奴隷をご自分の子どもにしてくださるということを信じきれていません。パウロは、それはアブラハムと同じだと言います。神はアブラハムの妻サラに子どもを与えると約束されましたが、アブラハムはその約束を信頼しませんでした。そのかわりに、奴隷のハガルを通して子どもを得ようとしたのです(ガラテヤ人への手紙 4:21〜23)。同じように、ガラテヤ人たちも神の約束を信頼していません。イエスこそが神の財産の相続人であり、ご自分を信頼する者を神の子どもにすると惜しみなく約束してくださる方だと信じきれていないのです。そしてアブラハムと同じように、奴隷の道を選ぶことによって、自分の力で神の子どもを造り出し、確保しようとしています(ガラテヤ人への手紙 4:24〜25)。
パウロは預言者の書であるイザヤ書を引用しながら、神の子どもとなることは初めから神の約束にかかっていたのだと語ります。神はサラの胎を開くと約束され、そして今、ただイエスを信頼することによって私たちをご自分の息子、娘としてくださると約束しておられます(ガラテヤ人への手紙 4:27、イザヤ書 54:1〜2)。神の家族に入れられるために、律法を守り続ける必要はありません。信仰によって私たちは、アブラハムの子イサクと同じように、神の約束によって相続財産を受け継ぐ者とされたのです(ガラテヤ人への手紙 4:28)。
アブラハムの時代からずっと、神の約束を信頼することの力を主張する人々は、一連の規則の奴隷となることを求める人々と対立してきました(ガラテヤ人への手紙 4:29)。しかし、人を奴隷にしようとする者に、自由にされた神の民の中に居場所はありません(ガラテヤ人への手紙 4:30)。ですから、イエスにある兄弟姉妹の皆さん、神の約束を信頼しましょう。イエスは私たちを御国の相続人としてくださいました。奴隷の道を退け、自由に生きていきましょう。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、私たちに相続財産を与えてくださる神を見ることができますように。そして、律法の力から私たちを解き放つために、律法の下で奴隷となってくださったイエスを見つめることができますように。


