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イザヤ書 1:1〜2:5

諸国の光

イザヤ書 1:1〜2:5では、イエスこそがご自分の民を回復させ、その民が神の正義と善さをもって世界を祝福できるようにしてくださる王であることが示されています。

何が起こっているのでしょうか

イスラエルは、神の正義と美しさ、そして善さを、すべての国々に指し示す灯台となるはずでした(創世記 12:1〜3)。ところが預言者イザヤは、イスラエルがこの招きを捨ててしまったと指摘します。諸国の光となるどころか、王から民に至るまで、不正と腐敗と悪に満ちています(イザヤ書 1:1〜5)。イザヤはイスラエルの霊的・道徳的な状態を、膿んだ傷、焼き払われた町、荒れ果てたぶどう畑に立つ今にも倒れそうな小屋にたとえています(イザヤ書 1:6〜8)。 

イザヤはイスラエルを「ソドム」「ゴモラ」とさえ呼びます(イザヤ書 1:9〜10)。神は最初のイスラエル人であるアブラハムを、諸国の間で光となるようにと招かれましたが、そのアブラハムは、悪に染まった町ソドムとゴモラが滅ぼされるのを目の当たりにしました(創世記 17〜19)。この滅びは、神の民が自らの招きを拒むなら、あの邪悪な双子の町のようになってしまうという預言でもありました(申命記 29:22〜24)。ソドムとゴモラと同じように、今や悪に染まった都イスラエルも、その高慢と偶像礼拝もろとも滅ぼされることになります(イザヤ書 1:27〜31)。

神が特に心を痛めておられるのは、イスラエルが最も弱い立場の人々を激しく虐げながら、偽善的に犠牲をささげ、ユダヤ人の聖い祝祭日を几帳面に守っていることです。ささげ物の儀式や神の定められた暦は、神がご自分の民に示される赦しと善さのしるしでした。それは、イスラエルがすべての国々にもたらすはずだった正義の、小さな実演だったのです。ところが偽善的な祭司たちは、人の血に染まった手で犠牲をささげています。安息日には細かな規定を守って休みながら、他の人々には重い荷を負わせているのです(イザヤ書 1:11〜14)。このひどい偽善のゆえに、どれほど必死に助けを求めて祈っても、イスラエルが再び善を行い正義を求めることを学ぶまで、神はその祈りに答えられない、とイザヤは告げます(イザヤ書 1:15〜17)。 

イザヤの預言は厳しく、滅びの言葉に満ちていますが、同時に希望にも満ちています。イスラエルは霊的な荒れ地となっていても、神はわずかな生き残りの群れを残しておられる、とイザヤは語ります(イザヤ書 1:9)。民が血に染まっていても、神は彼らを雪のように白くしてくださいます(イザヤ書 1:18〜20)。神はイスラエルの悪に満ちた首都を焼かれますが、その火は住民を精錬して尊い銀へと変え、腐敗した指導者たちに代えて、誠実な裁判官や議官を立ててくださるのです(イザヤ書 1:21〜26)。イザヤは、このきよめの後、イスラエルが神から与えられた招きへと完全に回復されると預言します。エルサレムはすべての町の上に高く引き上げられ、世界の国々がその通りに押し寄せるのです(イザヤ書 2:1〜2)。人々は神の正義と善さを教えてくださいと願い求め、神はそのとおりにしてくださいます。神は世界に、剣を打ち直して鋤とすることを教えられ、全地は神の平和と美しさと善さに満たされます(イザヤ書 2:3〜5)。

福音はどこにあるのでしょうか

イスラエルの状態は惨憺たるものです。王は悪を行い、祭司たちは偽善者で、民もそれにならい、世界は神の灯台の光を欠いたまま闇の中に置かれています。世界が神の平和と正義と善さを味わうための唯一の希望は、神の民がきよめられ、その招きへと回復されることです。だからこそ神は、イスラエルの究極の王であり祭司であるイエスを送ってくださったのです。 

王として、イエスは神の国が到来したと告げ知らせました。その支配のもとでは、貧しい人が顧みられ、虐げられた人々が解放され、世界が祝福されます。王であるイエスは、イスラエルの不正な指導者たち、とりわけ偽善的な宗教指導者たちを断罪するために来られました。イエスは彼らの偽善を責め、その行いに対する厳しい罰を宣告し、腐敗した神殿が破壊されることを預言されました。また祭司として、イエスは犠牲によってご自分の民のための赦しを確かなものとしてくださいました。イスラエルの祭司たちは血に染まった手で犠牲をささげ、その結果、神は彼らの祈りに耳を傾けるのをやめられました。しかしイエスは、ご自分のいのちを犠牲としてささげられたのです。自ら進んで流されたその血のゆえに、神は私たちの祭司の祈りを聞き、私たちを雪のように白く洗ってくださいます。イエスが滅ぼされたことによって、神の民はその悪からきよめられ、ついに神がずっと願っておられた「世界の光」となることができるのです(エペソ人への手紙 5:27、マタイの福音書 5:14〜16)。

イエスが滅ぼされたことによって、私たちはきよめられ、その民の一員とされます。そして、にわかには信じがたいかもしれませんが、いかなる霊的な力も、いかなる軍事的な力も、神の民を打ち負かすことはできないと神は言われます(マタイの福音書 16:18)。イエスがきよめてくださったのなら、世界に祝福といのちをもたらす神の灯台の光となるという、イエスの招きに加わることができるのです。 

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、民の悪にもかかわらず希望を与えてくださる神を見ることができますよう、お祈りします。そして、世界に祝福をもたらすためにご自分の教会をきよめてくださったお方として、イエスを見ることができますように。  

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