ここで何が起きているのでしょう
イスラエルはバビロンへの追放の道を歩み始めています。神が救い出してくださらなかったので、彼らは「バビロンの神々がイスラエルの神に勝ったのだろうか」と思い悩みます。しかし預言者イザヤはイスラエルを慰め、自分たちを捕らえた者たちの神々など、彼らと世界を造られた神とは比べものにならないと語りかけます。追放の中にあるイスラエルの慰めは、まさにここにあります。世界と自分たちの国を創造された神は、バビロンの神々よりも強く、しかもその神が救い出しに来てくださるのです。
バビロンからのイスラエルの救出は、創造の物語のようなものとなります。初めに、神の霊が何もない荒れ果てた地の上を動き、神とその民が共に住むことのできるエデンの園を造り出されました(創世記 1〜2章)。今、イザヤは再び荒野で叫ぶ声を描き、神の創造の力がもう一度働くための道が備えられていると告げます(イザヤ書 40:1〜3)。ことばによって世界を存在させたその同じ声が、今度は、追放という荒野から神がご自分の民を新しく造り変え、故郷へ連れ帰ろうとしておられると宣言するのです(イザヤ書 40:4〜11)。
イザヤはイスラエルに思い起こさせます。自分たちの神は、天を据え、海を升で量り、山々を秤にかけられた方なのだと(イザヤ書 40:12、21〜22)。神は世界の国々を形造り、支配者たちはそのみことばによって立ち、また倒れます(イザヤ書 40:15〜17、23〜24)。イザヤはイスラエルに問いかけます。バビロンの偶像など、万物の創造者と比べる価値さえあるでしょうか(イザヤ書 40:25、41:1〜5)。バビロンの神々は人の手で造られ、木から彫り出され、倒れないように釘で打ちつけられているのです(イザヤ書 40:18〜20、41:6〜7)。こうした偽の神々は、自分自身を助けることさえできず、それを造った人間を助けられるはずもありません(イザヤ書 41:21〜24)。イスラエルは、職人をも、木をも、星々そのものをも創造された神に信頼することができるのです。
イザヤは、神が追放の中で民を捨て去ってはおられないと語り、イスラエルを慰めます。宇宙のすべての星の名を知っておられる神が、ご自分の民を忘れるはずがありません。神は一人一人を名前で知っておられるのです(イザヤ書 40:26)。追放からの救いを待ち続けるうちに、イスラエルの中で最も若く最も強い者さえ年を取り、力を失っていくかもしれません。けれどもイザヤは、この民に対する神の誠実は決して疲れることも古びることもないと思い起こさせます(イザヤ書 40:27)。たとえ信仰が弱く、神を信じきれないとしても、神は必ず来てくださいます(イザヤ書 40:28〜31)。力強い羊飼いが弱い小羊を険しい道から緑の牧場へと運ぶように、神はご自分の民を御腕に抱いて運んでくださるのです(イザヤ書 40:11、41:10)。
最後にイザヤは、神がこの民の国を創造されたときのことを思い起こさせます。アブラハムと、彼への招きの出来事です(イザヤ書 41:8〜9)。神はバビロンから引き抜いたアブラハムを通して、新しい民を造り出すことをお選びになりました。神がバビロンから一度イスラエルを造り出されたのなら、もう一度同じことをなさることができます。アブラハムをバビロンから呼び出されたのと同じように、神はイスラエルをバビロンから救い出し、彼らの地へと回復してくださるのです(イザヤ書 41:11〜20)。
福音はどこにあるのでしょう
追放がどれほど望みのないものに見えても、神の約束は揺るぎません。神はご自分の民を救い、故郷へ連れ帰ってくださるのです。イスラエルは確かにバビロンから故国へ帰りました。しかし、神と共に住む最終的な故郷であるエデンからは、なお遠く隔たっていました。けれどもイザヤは、荒野に向かって新しい創造を語りかける声があると約束していました。その声は、バプテスマのヨハネが、イエスがイスラエルの荒野に来られたと告げ知らせるときに響きます(マルコの福音書 1:2〜4)。イエスは世界を造られた神のことばであり、ご自分の民を新しく造り変え、エデンという最終的な故郷へ導き入れるために来られた方なのです(ヨハネの福音書 1:3、12)。
神がバビロンの偶像よりも力強い方であるからこそイスラエルを新しく造り変えることができたように、イエスは悪の力と墓の力に打ち勝つことによって、私たちを新しく造り変える力を持っておられることを証明されました(コリント人への手紙Ⅰ 15:22)。イエスは復活において、私たちの究極の追放である死を打ち破られました(コリント人への手紙Ⅰ 15:25〜26)。そして天国に上られたとき、あらゆる力と偶像のはるか上にある御座に着座されたのです(エペソ人への手紙 1:20〜21、ペテロの手紙Ⅰ 3:22)。イエスは天国から、世界を創造し、いのちをもたらす御霊を送り、私たちの内に新しいいのちを造り出し、神と共に住むエデンの故郷へと導いてくださいます(ローマ人への手紙 8:11)。
神がアブラハムをバビロンから呼び出して新しい民を造られたように、イエスも新しい民を造るために、私たちをこの世から呼び出してくださいました(ペテロの手紙Ⅰ 2:9〜10)。イザヤが神の力によって弱ったイスラエルを慰めたように、私たちも自分の弱さの中で慰めを受けることができます。イエスが私たちを新しく造り変えてくださると信じきれずにもがくときでさえ、イエスは強い方です。羊飼いが小羊を担ぐように、イエスは私たちを肩に担ぎ、共に住む最終的な故郷へと安全に運び入れてくださいます(ヨハネの福音書 10:11、テモテへの手紙Ⅱ 4:18)。人生がどれほど望みのないものに見えても、神の約束は揺るぎません。イエスは御霊によって私たちを新しく造り変えておられ、やがて私たちを復活させ、神と共に住む最終的な故郷へと連れて行ってくださるのです(ユダの手紙 24〜25)。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、追放の中にある民を新しく造り変えるために来られる神を見ることができますように。そして、私たちを死の中から担い出し、神と共に住む最終的な故郷へと回復してくださる方として、イエスを仰ぐことができますように。

