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ペテロの手紙Ⅰ 1:1〜12

神に選ばれた寄留者たち

ペテロの手紙Ⅰ 1:1〜12には、私たちが「この世に居場所を持たない者」として選ばれたことが示されています。それは良い知らせです。なぜなら私たちは、愛に満ちた父が創設し、復活のいのちに根ざした新しい家族に加えられたからです。

ここで何が起こっているのでしょうか

イエスの弟子の一人であったペテロは、小アジア——今日のトルコにあたる地域——一帯に散らばって暮らす信者たちに手紙を書き送ります(ペテロの手紙Ⅰ 1:1)。彼らはおそらく異教徒であり、ローマ帝国の市民でした。それにもかかわらず、ペテロは彼らを「神に選ばれ、追放された者たち」と呼びます。帝国のあちこちに散らされた、神に選ばれた寄留者たち、というわけです。

この言葉遣いによって、ペテロは意図的に、異教徒である人々を、神が選ばれた民ユダヤ人の物語の中に置いています。神がイスラエルを選ばれたのと同じように、神はこのローマ帝国の人々をも選ばれたのです。またユダヤ人がバビロン帝国によって散らされたように、イエスを信じるこの人たちもローマ帝国の中に散らされています。けれどもペテロは、単に似通った社会的・政治的な歴史を比べているのではありません。異教徒もユダヤ人とまったく同じように神に選ばれているのだと語っているのです。イスラエルの物語の中心にあった追放と帰郷の物語は、今や神がすべての人のために書き進めておられる物語なのです。

イエスを信じる者は誰もが、追放された者です。クリスチャンはこの世界の市民権を持っていません。なぜなら神は、ご自身のうちにある御国を私たちに与えることを選ばれたからです。さらにペテロは、私たちが父なる神の予知に従い、聖霊の聖める働きによって、従順と血の注ぎかけのために選ばれたと語ります(ペテロの手紙Ⅰ 1:2)。これらの言葉はどれも、異教徒を神の選ばれた民の物語に結び合わせる別の言い方なのです。

アブラハム以来、神は世界を祝福するために、追放された者たちを知り、選んでこられました(創世記 12:1〜2)。神の御霊は幕屋に下り、イスラエルをご自分の住まいとして選ばれました(出エジプト記 40:34)。そしてイスラエルが一つの国民となった日、神の民は従うと約束し、モーセは彼らに血を注ぎかけました(出エジプト記 24:6〜7)。イスラエルが血を注ぎかけられて国民となったのと同じように、イエスの血に信頼する者は誰でも、新しい国民となるのです。

福音はどこにあるのでしょうか

神は私たちを、追放された者となるように選ばれました。この世に居場所を持たない者として選ばれた——それは良い知らせです。ペテロによれば、追放された者という新しいアイデンティティは、同時に新しい家族に加えられたことを意味します。生まれ育った国に対しては死んだ者となり、愛に満ちた父と復活のいのちによって創設された永遠の家族の中に、新しく生まれたのです(ペテロの手紙Ⅰ 1:3)。そして神の子ども——イエスの兄弟姉妹——として、朽ちることなく、悪に奪われることなく、永遠に続き、神ご自身が守ってくださる相続財産が与えられています(ペテロの手紙Ⅰ 1:4〜5)。この世にとって異質な者であることは、神の国では生まれながらの住民であることを意味するのですから、それは喜ぶ理由となるのではないでしょうか。

また、外部の者がたいていそうであるように、私たちもその異質さゆえに苦しみを味わいます。ペテロはこの手紙全体を通して、イエスに従うことに伴う道徳的・霊的な「異質さ」を解き明かしていきます。けれども今のところペテロは、この世にとって奇妙な存在であることこそ、私たちが天国の市民であることの証しだと思い起こさせてくれます(ペテロの手紙Ⅰ 1:6)。迫害は絶望する理由ではなく、試練は喜ぶ理由なのです。金が火の犠牲者ではないのと同じように、私たちも迫害の犠牲者ではありません(ペテロの手紙Ⅰ 1:7)。苦しみは私たちを清め、信仰が本物であることを明らかにするのですから、喜ぶことができるのです。

イエスに従う者は苦しみを受けます。イエスご自身も確かに苦しまれましたが、それは栄光へと——死者の中からのいのちと、神とともに座す王座へと——導きました(ペテロの手紙Ⅰ 1:11)。そして私たちはまだイエスをこの目で見ていませんが、信頼し愛するときに喜ぶことができます(ペテロの手紙Ⅰ 1:8)。最後にものを言うのは、迫害する者たちではありません。私たちの救いは、彼らが傷つけることのできるものではないからです(ペテロの手紙Ⅰ 1:9)。ペテロが先に語ったとおり、神が守ってくださっているものを、殺したり、朽ちさせたり、消し去ったりできる国も人も存在しないのです(ペテロの手紙Ⅰ 1:4〜5)。

贖いをもたらす苦しみ、そして選ばれた追放の身であること。これは不思議でありながら、力ある真理です。旧約聖書の預言者たちは、これを解き明かそうと聖書を熱心に探り求めました(ペテロの手紙Ⅰ 1:10)。天使たちさえ、神がどのように苦しみを栄光と喜びに変えられるのかを、一目見ようと身を乗り出しました(ペテロの手紙Ⅰ 1:12b)。けれども預言者や天使たちが見ようと苦心したことを、私たちはイエスのうちにはっきりと見ています。イエスの苦しみは復活へと至り、その死は栄光へと至りました。イエスのゆえに私たちは知っています。信じる者一人一人にとって、苦しみと死は必ず、永遠に続き決して色あせることのない栄光の相続財産へとつながっていくのです。

ご自分の目で見てみましょう

聖霊が目を開いてくださり、私たちを追放された者として選ばれた神を見ることができますように。そして、私たちの苦しみを贖い、その血と復活によって私たちを家族としてくださるイエスを、見ることができますように。

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