何が起こっているのでしょうか
ダビデ王は、新たに定めた都エルサレムに自分の王宮を建て終えたばかりでした。さらに、神が語りかけ、ダビデを導かれる聖い器である神の契約の箱も、都に迎え入れていました。それでもダビデは満足できません。モーセによって造られ、イスラエルが犠牲をささげてきた聖い場所である幕屋は、ただの天幕にすぎなかったからです。ダビデは神の天幕をエルサレムに移し、神がすでに自分に与えてくださった王宮や都にふさわしい壮大な神の家を建てたいと願いました(歴代誌Ⅰ 17:1〜2)。
ところが神はダビデに、これまでイスラエルの指導者たちの誰にも、もっと立派な建物を求めたことはないと告げられます。神はいつも、天幕の中で民と共に移り動くことを喜びとしてこられたのです(歴代誌Ⅰ 17:3〜6)。しかし、神のために家を建てたいというダビデの良い願いに応えて、神はこう言われます。わたしがあなたのために家を建てよう、と。それは、神の民すべてが完全な守りと平和を知るようになる王朝でした(歴代誌Ⅰ 17:7〜10)。神は、ダビデが建てたいと願った神殿を、ダビデの子の一人が建てると約束されます。そして、ダビデの子は神の子となり、神がその王国を永遠に堅く立ててくださると約束されるのです(歴代誌Ⅰ 17:11〜15)。神のために何か大きなことをしたいというダビデの願いは、神がダビデのためになさろうとしていることの前に、すっかりかすんでしまいました。
感謝に圧倒されたダビデは、神の契約の箱に近づきます。かつて契約の箱を誤って扱い、部下の一人が死んだあの出来事以来、神のご臨在にこれほど近づいたのは初めてでした(歴代誌Ⅰ 17:16〜17、13:10〜12)。ダビデは、神は自分が聞いたどの神とも違う方だと賛美します。奴隷とされていた民を救い出し、その民を永遠の王国の中心に据えることを選ばれた神は、ほかにいないのです(歴代誌Ⅰ 17:18〜22)。過去の過ちを思うと、神の契約の箱に近づくのが恐ろしかった、とダビデは正直に認めます。けれども、神の驚くほど恵み深い約束が、もう一度神に近づき、約束されたものを受け取る勇気を与えてくれました。こうして神の前に出た今、ダビデが願うのはただ一つ。神がこれからも誠実であり、約束されたすべてを成し遂げてくださることだけでした(歴代誌Ⅰ 17:25〜27)。
福音はどこにあるのでしょうか
ダビデが最初に神の契約の箱をエルサレムに運び入れようとしたとき、神の律法の一つを破ってしまい、その結果、部下の一人が死にました。その時以来、ダビデは神の契約の箱に近づきすぎることを恐れるようになりました。ダビデは神のために多くのすばらしいことをしました。祭司たちを整え、犠牲をささげ、神の契約の箱をエルサレムに運び入れ、さらには神のために神殿を建てたいとまで願いました。しかし、こうした良い行いのすべての底には、神はまだ自分に怒っておられるのではないか、自分は自分が背いたその神に近づく資格などないのではないか、という恐れがあったのです。
けれども、ダビデの恐れは無用のものでした。神は、ダビデが神のために建てられるどんなものよりもはるかに大きなことを計画しておられたのです。神はダビデに、その子の一人が永遠に治める永遠の王朝を約束しようとしておられました。ダビデはおそらく、神が語っているのは息子ソロモンのことで、この「永遠の」王朝とは、イスラエルの王座に子孫が途切れずに続くことだと考えたでしょう。しかし神は、ソロモンがその子だとも、「永遠」とは王の血筋が途切れないことだとも、一度も言われていません。神が言われたのは、ダビデの子が神の子となり、この神の子でありダビデの子である方が永遠に治める、ということでした(歴代誌Ⅰ 17:13)。神はダビデに、イエスのことを語っておられたのです。ダビデはそれを完全には理解できなかったかもしれません。それでも神の約束は彼の恐れに打ち勝ち、ダビデはもう一度、神のご臨在の中へと歩み出て行きました。
ダビデ以上に、私たちは過去の過ちのせいで神に近づけないのではないかと恐れる必要はありません。私たちの過ちにもかかわらず、神がダビデに約束されたあの子が、イエスとして私たちのすぐそばに来てくださったのです。イエスは、私たちが神の命令を破ってきたその責任をすべて引き受けてくださいました。本来私たちがそうなるべきだったように、神から引き離されて死んでくださったのです。しかしイエスは死からよみがえり、今は天国の王座に着いておられます。そしてその王座から、生涯をかけた従順によっても決して得られないほど大きなものを、私たちに差し出してくださいます。それは、決して壊れることのない、恐れのいらない神との親しさです。
ご自分の目で確かめてみましょう
聖霊があなたの目を開いてくださり、ダビデに約束を与え、その約束を守り通される神を見せてくださるよう祈ります。そして、私たちを永遠に神のもとへ近づけてくださるダビデの子イエスを、見出すことができますように。

