何が起こっているのでしょうか
ルツとナオミは、ボアズが一族の「贖い手」の一人であることを知ったばかりです。イスラエルにおいて「贖い手」とは、貧しい親族、とりわけ未亡人の世話をする社会的・法的な責任を負う人のことでした。今のままでは、ナオミは生きていくために一族の土地を売らなければなりません。けれども、もしボアズがルツと結婚すれば、問題はすべて解決します。ボアズを通して、二人の空しさに終わりが来るかもしれない——そう思えてきます。しかし、ルツもまた未亡人であり、その上、貧しく、子を産めず、外国人でもありました。ボアズがルツを結婚相手として考えてくれるかどうかさえ、まったく分かりません。
そこでナオミは、ボアズから結婚の申し出を引き出すために、賢くはあるものの危険な計画を思いつきます(ルツ記 3:1)。ルツは身なりを整え、高価な香油をつけ、ボアズがたっぷり食事をして眠りにつくのを待つのです(ルツ記 3:3)。そして、その足もとの覆いをそっとめくり、隣に横になります(ルツ記 3:4)。
この計画が巧みなのは、ボアズが満腹で満ち足りている時を待っている点です。足もとの覆いを取れば、夜のどこかで寒さに目を覚まし、そして——驚いたことに——美しいルツが謙遜に足もとに横たわっているのを目にすることになります。けれどもこの計画は、不適切さのぎりぎりの境目を歩むものでもありました。夜、男と女が二人きりで、人目につかない場所に共に横たわっているのです。しかもルツは彼の「覆いを取る」のです。もしボアズがこの計画を取り違えたなら、その結果は重大で、その場に漂う性的な緊張感もそれと同じほど濃いものでした。それでもルツは、ナオミの提案どおりにすることに同意します(ルツ記 3:5)。
ところが、ルツは台本どおりには動きません。ボアズが目を覚まして彼女を見たとき、ルツはその反応を待ちませんでした。そうではなく、結婚だけでなく、ナオミとその家名のための贖いを申し出るのです(ルツ記 3:9)。ルツはボアズを「贖い手」と呼びます。彼女がボアズとの結婚を願ったのは、自分の益のためというより、ナオミのためでした。ボアズの助けがなければ、ナオミの家系は絶えてしまいます。しかしボアズが彼女と結婚すれば、ルツの子がナオミの跡継ぎとなり、ナオミの土地も一族のもとに残るのです。
ボアズは、ナオミに対するルツの忠実さに心を打たれます。ナオミのために故郷を離れただけでなく、自分自身のためではなく、ナオミの益と幸せのために、自分の結婚さえ用いようとしているのです(ルツ記 3:10)。
ボアズは「はい」と答えたいのですが、一つ問題がありました。もう一人、意向を示す機会を与えられるべき贖い手がいるのです(ルツ記 3:12)。
福音はどこにあるでしょうか
ルツとナオミの物語全体を通して、ぜひ理解しておきたい大切なヘブライ語の言葉があります。お使いの聖書では、おそらく「いつくしみ」と訳されている言葉でしょう。
ルツは故郷を離れることでナオミにいつくしみを示した、と語られています(ルツ記 1:8)。ボアズは、ルツとナオミに惜しみなく食物を与えることでルツにいつくしみを示しました。そしてボアズは、ルツの結婚の申し出もまた、いつくしみの行いだと言います(ルツ記 3:10)。ルツ記における「いつくしみ」とは、単に優しくあることではなく、忠実であることを意味します。さらに言えば、それは犠牲を伴う忠実さです。故郷を離れることは、ルツにとって大きな代価を伴いました。ボアズへの申し出は、愛やお金のために結婚する道を手放すことを意味しました。そして次の章で見るように、この結婚の申し出を受け入れることは、ボアズにとっても経済的な代価を伴います。子を産めない外国人の女性と結婚することで生じる社会的な代価は、言うまでもありません。
聖書でこの種のいつくしみが最初に語られるのは、神がシナイ山でイスラエルに向けて、ご自身がどのようなお方かを語られた場面です(出エジプト記 20:6、34:6〜7)。神は、ご自分が忠実で、変わることなくいつくしみに満ちた方だと言われます。ご自身にどれほどの犠牲がかかろうと、イスラエルを愛し続けてくださるのです。ルツとボアズのうちに、私たちは神のいつくしみの生きた姿を見ますが、それと同時に、私たちに対するイエスの愛の生きた姿をも見るのです。
変わることのないいつくしみという神の約束に忠実であるがゆえに、イエスはご自分の故郷を離れ、大きな代価を払って花嫁を迎えられました(エペソ人への手紙 5:25)。そして、ルツがボアズに結婚を申し出たのは、彼が見目麗しかったからでも裕福だったからでもないように、イエスが私たちとご自身を結び合わせてくださったのも、私たちが最も優れていたり、最も輝いていたりするからではありません。イエスが私たちのために死んでくださったのは、いつくしみ深く、忠実な方だからです。必要の中にある人々に対していつくしみ深く、ご自分の交わした約束に忠実な方なのです。
では、神からのいつくしみを必要としているでしょうか。主の犠牲を伴う慈悲によって、その必要が満たされることを願っているでしょうか。それなら、ルツのようになってみましょう。主の足もとに身を横たえ、願い出るのです。もし主が動いてくださらなければ何が失われてしまうのかを、大胆に申し上げましょう。そして、ボアズよりもはるかにいつくしみ深く、必要なものすべてを与えてくださる神に、確かな信頼を置きましょう。
ご自身の目で見てみましょう
聖霊が目を開いてくださり、その翼の陰に私たちを覆ってくださる神を見ることができますように。そして、私たちが満たされるためにご自分を空しくされたイエスの、忠実ないつくしみを見ることができますように。

