何が起こっているのでしょうか
ヨシュアは土地の分割を続け、残る十一の部族に相続地を割り当てていきます。
次に相続地を受け取るのは、ヨセフの部族です。さかのぼって創世記では、この部族はヨセフの二人の息子エフライムとマナセの名を冠して、二つに分けられていました(創世記 48:5)。マナセの半部族は、ルベンとガドとともに、カナンの外、ヨルダン川の東側に定住することを選んでいました(民数記 32:5)。しかしエフライムと、マナセのもう半分の部族には、それぞれの割り当て地が定められ、国の中央付近の土地が与えられます。
ところが、すぐに問題が生じます。
第一に、ヨセフの部族は、命じられていたように神の敵を完全に追い出さなかったのです(ヨシュア記 16:10)。第二に、自分たちの土地が狭すぎると不満を言います(ヨシュア記 17:14)。そして、神がもともと割り当てられた以上の土地を与えてほしいと、ヨシュアに願い出るのです。
しかし本当の問題は、割り当てが狭すぎたことではなく、恐れのあまりカナン人を追い出せなかったことにありました(ヨシュア記 17:16)。その土地が欲しいのなら、神の力を信頼して、自ら取っていかなければなりません(ヨシュア記 17:18)。
福音はどこにあるのでしょうか
神はイスラエルを導いて土地の大部分を占領させてくださったのに、彼らは、始められたことを神が成し遂げてくださると信頼しきることができませんでした(ヨシュア記 17:13)。
この信頼の欠如の原因は、恐れです。ヨセフの子孫たちは、強いカナン人と彼らの鉄の戦車を恐れました(ヨシュア記 17:16)。以前のように神が勝利へと導いてくださると、信じることができなかったのです。
けれどもヨシュアは、エフライムとマナセに向かって、敵の人数や進んだ武器、有利な戦略的配置にもかかわらず、カナン人を追い出すことができると告げます(ヨシュア記 17:18)。そもそもイスラエルの勝利は、規模や戦略によるものではなく、いつも神の力によるものだったからです。
イエスもまた、強く、よく武装した敵を打ち破られました。それは罪と死です。イエスは力や人数でそれらを圧倒したのではなく、神の力によって死に、そしてよみがえることによって勝利されたのです(コロサイ人への手紙 2:15)。
同じように、イスラエルは過去における神の勝利を振り返り、これからも神を信頼する思いを強めるべきでした。私たちもまた、死に対するイエスの決定的な勝利を振り返ることができます。死の力も墓のとげも、私たちに勝つことはできないと信頼できるのです(コリント人への手紙Ⅰ 15:57)。
それどころか私たちは、敵が奪おうとしている土地を、自分のものとして受け継ぐのです。イエスへの信仰によって、新しい天と新しい地にある、豊かで広々とした土地に住むことになります(ヨハネの黙示録 21:1〜2)。そこは完全に清い土地であり(ヨハネの黙示録 21:27)、悪の拠点も、わずかな一角さえも残ることのできない場所です(ヨハネの黙示録 22:3)。
ご自身の目で見てみましょう
敵がどれほど強く、私たちがどれほど弱くても、戦いにおいて力ある神を見る目を、聖霊が開いてくださいますように。そして、私たちの最大の敵に対する永遠の力を与えるために、弱さのうちに死んでくださった方としてイエスを見ることができますように。

