何が起こっているのでしょうか
エリコの城壁が、いよいよ崩れ落ちようとしています。エリコは軍事的にも要となる、強大な町でした。エリコが立ちはだかっている限り、イスラエルは約束の地に入ることができなかったのです。
ところが神はヨシュアに、戦いを挑むのではなく、エリコの陥落はすでに与えられた贈り物だと告げられます(ヨシュア記 6:2)。イスラエルの軍勢を先導するのは兵士ではなく、神のご臨在を示す箱と七人の祭司でした(ヨシュア記 6:4)。攻城のための工作物も築かず、剣も抜かず、ただ七日間、町の周りを行進しただけで、エリコの城壁は奇跡的に崩れ落ちます。イスラエルの兵士の力によるのではなく、神の力によるのです(ヨシュア記 6:5)。
ヨシュアは兵士たちに、勝利が与えられたのは神がエリコを滅びのためにささげられたからだと語ります(ヨシュア記 6:17)。町が贈り物であっても、兵士たちが戦利品を自分のために取ることは許されていません。もしそうするなら、今度はイスラエルが滅びのためにささげられることになる、と警告さえされています(ヨシュア記 6:18)。生き残るものがあってはならず、イスラエルの益のために用いられるものも、何一つ残してはならないのです(ヨシュア記 6:21)。
これらすべてが示しているのは、この戦いが第一に軍事作戦ではないということです。この戦いは、神への賛美と献身をめぐるものなのです。滅びのためにささげられなかったのは、ラハブの家族だけでした。エリコの指導者たちとは違い、彼女の家族はイスラエルの偵察者たちをかくまうことによって、自分たちを神にささげたのです(ヨシュア記 6:23)。その信仰によって、ラハブとその家族は名誉あるイスラエル人として迎え入れられました(ヨシュア記 6:25)。
エリコの陥落は、神がヨシュアとともにおられること、そしてヨシュアが神の戦いを戦っていることを証ししています。ヨシュアの名声はたちまちカナン全土に広がっていきました(ヨシュア記 6:27)。
福音はどこにあるのでしょうか
何が起こっているのでしょうか
エリコの城壁が、いよいよ崩れ落ちようとしています。エリコは軍事的にも要となる、強大な町でした。エリコが立ちはだかっている限り、イスラエルは約束の地に入ることができなかったのです。
ところが神はヨシュアに、戦いを挑むのではなく、エリコの陥落はすでに与えられた贈り物だと告げられます(ヨシュア記 6:2)。イスラエルの軍勢を先導するのは兵士ではなく、神のご臨在を示す箱と七人の祭司でした(ヨシュア記 6:4)。攻城のための工作物も築かず、剣も抜かず、ただ七日間、町の周りを行進しただけで、エリコの城壁は奇跡的に崩れ落ちます。イスラエルの兵士の力によるのではなく、神の力によるのです(ヨシュア記 6:5)。
ヨシュアは兵士たちに、勝利が与えられたのは神がエリコを滅びのためにささげられたからだと語ります(ヨシュア記 6:17)。町が贈り物であっても、兵士たちが戦利品を自分のために取ることは許されていません。もしそうするなら、今度はイスラエルが滅びのためにささげられることになる、と警告さえされています(ヨシュア記 6:18)。生き残るものがあってはならず、イスラエルの益のために用いられるものも、何一つ残してはならないのです(ヨシュア記 6:21)。
これらすべてが示しているのは、この戦いが第一に軍事作戦ではないということです。この戦いは、神への賛美と献身をめぐるものなのです。滅びのためにささげられなかったのは、ラハブの家族だけでした。エリコの指導者たちとは違い、彼女の家族はイスラエルの偵察者たちをかくまうことによって、自分たちを神にささげたのです(ヨシュア記 6:23)。その信仰によって、ラハブとその家族は名誉あるイスラエル人として迎え入れられました(ヨシュア記 6:25)。
エリコの陥落は、神がヨシュアとともにおられること、そしてヨシュアが神の戦いを戦っていることを証ししています。ヨシュアの名声はたちまちカナン全土に広がっていきました(ヨシュア記 6:27)。
福音はどこにあるのでしょうか
町全体が「滅びのためにささげられる」という記事は、これが最後ではありません。カナンの地全体が、同じようにささげられていきます。同様に、神にささげられた者はみな生きるのです。しかし、自分を神にささげることを選ばない者は、滅びのためにささげられてしまいます。
使徒ヨハネも、イエスについて驚くほど似たことを語っています。「〔神の御子を〕信じる者は滅びることなく、永遠のいのちを得ます……信じない者はすでにさばかれています……光が世に来たのに、人々は光よりも闇を愛しました。その行いが悪かったからです」(ヨハネの福音書 3:16、18〜19)。
神の民がカナンに現れたとき、ラハブは神がご自分の民に対して誠実であられることの光を見て、神を信じました。しかしエリコのほかの人々は、自分たちの闇を好みました。主に自分をささげるのではなく、守りを固め、城門を閉ざし、戦うことを選んだのです(ヨシュア記 6:1)。
私たちの世界は、すでにさばかれています。滅びのためにささげられているのです。けれども良い知らせがあります。神はこの世界をあまりにも愛して、ひとり子イエスを与えてくださったのです。ラハブのように信じ、自分をイエスにささげるなら、私たちもその民の一部とされます。滅びを免れ、永遠の御国でいのちを受けるのです。
確かに、こうした箇所を読むのは易しいことではありません。しかしイエスに信頼するなら、ヨシュア記に記された滅びについて読むことが、私たちがその滅びに最も近づく経験となるのです。
ご自分の目で確かめてみましょう
ご自分の世界を壊す悪を滅びのためにささげられる神を見る目を、聖霊が開いてくださいますように。そして、滅びと闇にささげられたこの世界を救い出し、私たちを解き放って、いのちの御国に加わらせてくださる方として、イエスを仰ぐことができますように。

