受難週の一日一日に、イエスと出会う
私たちと同じように、イースターが告げる良い知らせを、もっと深く、人生を変えるかたちで味わいたいと願っておられるのではないでしょうか。そのための最善の道は、世界中のクリスチャンが1600年にわたって続けてきたこと——受難週の8日間すべてを歩むこと——に加わることです。

YouVersion 聖書アプリと協力して、ディボーションと、イースターを紹介する新しい動画を制作しました。棕櫚(しゅろ)の主日からイースターまで、イエスと出会うための助けとなるはずです。
受難週の紹介
イースターについては、よくご存じかもしれません。では、受難週の8日間についてはいかがでしょうか。 その一日一日が、聖金曜日の十字架とイースターの復活を理解するうえで、大きな意味を持っています。この短い動画では、受難週の各日をたどりながら、それらがどのようにイースター・サンデーのイエスの死と復活へとつながっていくのかを、ご一緒に見ていきます。
受難週を探る
ディボーションとポッドキャストのシリーズを通して、受難週の一日一日が持つ意味を、さらに深く知ってみましょう。

棕櫚(しゅろ)の主日
棕櫚の主日は、王であることについての日です。イスラエルの勝利をおさめた王たちは、ろばに乗ってエルサレムに入る姿と結びついていました。またゼカリヤ書は、イスラエルの最後の王も、ろばに乗って都に来ると預言していました。イエスはこの名高い動物に乗ってエルサレムに入られたとき、こうした期待と象徴のすべてを、ご自分に当てはめられたのです。それは宗教的な宣言であり、同時に政治的な宣言でもありました。イエスは、宗教的な指導者たちの上に立つイスラエルの王です。ローマとカエサルの上に立つ、地の王です。そして、あらゆる力と権威の上に立つ、全宇宙の王なのです。

受難週の月曜日
受難週の月曜日は、神殿のささげ物の儀式についての日です。イエスが動物の売り買いを中断させられたとき、それは神殿のささげ物の儀式そのものを中断させることでした。預言的なひとときの間、犠牲のささげ物は止まりました。預言的なひとときの間、人々は「どうすれば贖い(あがない)が成し遂げられるのだろう」と思いめぐらしたことでしょう。そして預言的なひとときの間、イエスは神殿に立ち、ご自分こそ神の民にとって最後の、贖いの犠牲となる方であることを示されたのです。

受難週の火曜日
受難週の火曜日は、神殿の崩壊についての日です。イエスが実のないいちじくの木をのろわれたのは、イスラエルの神殿が実を結んでいないことを示す預言的な象徴でした。実を結ばないいちじくの木を滅びへとのろわれたのと同じように、イエスは実を結ばない神殿をも滅びへとのろわれたのです。それは、神の家を覆い尽くしていた腐敗した宗教心への裁きであると同時に、これから起こることを描き出すものでもありました。イエスは、新しい神殿を建てようとしておられたのです。その神殿は、イエスに従う者たちによって組み上げられ、イエスの御霊が住まわれ、イエスご自身が導いてくださる神殿です。

スパイ・ウェンズデー(裏切りの水曜日)
スパイ・ウェンズデーは、イエスの死がどうしても必要であったことについての日です。マリアは高価な香油をイエスに注ぎ、葬りのための備えをしました。イエスがお約束になったとおり「復活であり、いのちである」方となるためには、まず死に、よみがえらなければならないと、彼女は知っていたのです。けれども、イエスが死ななければならないと知っていたのは、マリアだけではありませんでした。ユダもまた、それを知っていたのです。イエスは、ユダが期待していたメシアではありませんでした。これ以上人々を惑わせないようにし、本物のメシアが来る道を開くために、ユダはイエスを裏切り、死へと引き渡します。その理由においては、ユダは間違っており、マリアは正しかったのですが、二人ともイエスが死ななければならないことを知っていたのです。

洗足木曜日
洗足木曜日は、契約についての日です。神とイスラエルとの契約は、過越の祭の食事によって刻まれていました。それは、神がご自分の民を奴隷の身から解放し、御国へと導き入れられた日でした。イエスがこの祝いの食事の中心を、ご自分の体と血に移されたとき、新しい契約が始まりました。この新しい契約のもとでは、どの民族の人であっても、イエスの体と血に信頼することによって、罪と死の奴隷状態から救われます。そして、そうする人はみな、イエスを王とする永遠の御国に加えられるのです。

聖金曜日
聖金曜日は、イエスが十字架につけられたことについての日です。それは、全人類が神に逆らって共謀し、御子を死に至らせた日です。しかし同時に、神の御子が死に渡されたからこそ、全人類に救いの道が与えられた日でもあります。この真理は、イエスがご自分を捕らえ、苦しめ、処刑した人々に語られた言葉のうちに、美しく描き出されています。イエスは、自分を殺そうとしている人々のために、「彼らをお赦しください」と神に願われたのです。これこそが福音です。イエスは私たちのために、最も罪深い者のためにさえ、死んでくださいました。どのような人であっても、何をしてきたとしても、聖金曜日にイエスがなしてくださったことのゆえに、赦しが備えられているのです。

聖土曜日
暗黒の土曜日は、安息についての日です。土曜日はユダヤ人の安息日です。ですからイエスは、律法を忠実に守るユダヤ人として、安息日に墓の中で休まれました。墓に横たわり、動かず、死んでおられたのです。多くの人にとっては、これは良い知らせに聞こえないかもしれません。けれども、まさに良い知らせなのです。イエスが休むことができたのは、創造の七日目の神と同じように、すべての働きが終わっていたからです。すべての罪の代価を支払い、あらゆる力を打ち破り、世界の創造のときから神が計画しておられた御業を、成し遂げられました。そして今、「完了した」がゆえに、休まれたのです。

イースター・サンデー
復活の主日、すなわちイースターは、高く昇られることについての日です。イエスは、王としての勝利のわざとして、墓から昇られました。王が戦場で敵を打ち破るように、死の力を打ち破られたのです。しかもイエスは、死の上に昇り、ご自分に信頼するすべての人のために死を打ち破られただけでなく、最も高い王座にまで昇られました。死者の中からよみがえられたことによって、イエスはご自分について語ってこられたとおりの方であることを証明されたのです。イエスは、人となられた神です。ですから、私たちの罪はこの方にあって本当に赦されます。この方によって、本当に神の永遠の御国に入ることができます。そして、イエスが先によみがえられたからこそ、私たちも本当に、復活の新しいいのちへと造り変えられるのです。イエスが昇られたからこそ、イエスは治めておられます。そして、イエスが治めておられるからこそ、私たちも昇るのです。

