何が起こっているのでしょうか
その名の通り、ヘブル人への手紙は「ヘブル人」、つまりユダヤ人の信仰を持つ人々に向けて書かれました。ヘブル人である彼らは、ヘブライ語の聖書、すなわち私たちが旧約聖書と呼ぶものを、ほかのどんな啓示よりも尊いものとしていました。なにしろ彼らの聖書は、燃える柴を通して、山上の奇跡を通して、力ある預言者たちを通して、そしてとりわけ、御使いたち自身を通して届けられたものだったのです。ところが今、同じユダヤ人の中から、イエスという名のユダヤ人の大工を通して語られた神の新しい啓示があると主張する人々が現れました。多くのヘブル人がこれに強い疑いを抱いたのも、無理のないことでした。
そこでこの手紙の冒頭の数章で、著者はユダヤ人の読者たちに、イエスはヘブライ語の聖書を届けた御使いたちよりもさらに優れた使者であることを示していきます。かつて神は、御使いという仕える者たちを用いてご自分の民に語りかけられました。しかし今は、御子イエスを通して語られたのです(ヘブル人への手紙 1:1〜2、5〜7)。イエスは単に仕える者ではなく、創造者である神ご自身です(ヘブル人への手紙 1:3)。イエスは神の宇宙を受け継ぐ正当な相続者であり、それゆえ究極の権威を持つ使者なのです(ヘブル人への手紙 1:5)。イエスの語ることばには、どんな御使いも持ったことのない権威と力があります(ヘブル人への手紙 1:4)。そして、イエスがもたらす知らせとは、罪を赦し、正義を行い、悪をさばくすべての権威がご自分に与えられているということでした(ヘブル人への手紙 1:8〜13)。
著者は読者たちに、イエスの語る知らせを拒んではならないと警告します。かつて、神の御使いたちによって届けられた知らせに背いたり、それを退けたりすることには、厳しい結果が伴いました(ヘブル人への手紙 2:1〜2)。ならば、神の御子の権威ある知らせを退けることは、いっそう恐ろしい罰を招くことになります(ヘブル人への手紙 2:3〜4)。御使いの権威を信じているこの手紙の読者であれば、だれも神の御子の権威を退けるべきではないのです。
それに、聖書によれば、死すべき人間はもともと、死ぬことのない御使いよりも大きな権威を託されてきました。詩篇 8篇で詩人は、神が人間を御使いよりも「低い」者とされた(人は死ぬからです)にもかかわらず、その死すべき人間に創造されたすべてのものを治める権威をお与えになったと思い巡らしています(詩篇 8:4〜6、ヘブル人への手紙 2:5〜8)。そして、神が私たちのために意図しておられる権威を完全に味わった人間はまだだれもいませんが、神はイエスにおいてご自身が死すべき者となられ、その方が創造されたすべてのものを治める究極の権威として冠を受けられたのです(ヘブル人への手紙 2:9)。決して死ぬことのない御使いとは違い、イエスは私たちのために死すべき者となられました。それは、ご自身の苦しみと死、そして復活を通して、死すべき人間すべてを、神がもともと与えようとしておられた権威へと引き上げてくださるためでした(ヘブル人への手紙 2:10)。
イエスは、神の民がこれまでに受けたどの使者よりも優れた使者です。もたらされた知らせもいっそう優れたものですから、ヘブル人の読者たちはこの方に耳を傾けるべきなのです。
福音はどこにあるのでしょうか
この手紙の著者は、あるところで、創造者である神がご自身苦しみ、死ぬことによってご自分の民を死すべき定めと死から救い出されるのは「ふさわしい」ことだと語っています(ヘブル人への手紙 2:10)。それがふさわしいのは、イエスが私たちをご自分の家族、兄弟姉妹と見なしてくださるからです(ヘブル人への手紙 2:11〜13)。そして、イエスの兄弟姉妹が苦しみと死ののろいを負った体と骨を持っていたからこそ、その家族を苦しみと死から解き放つために、イエスご自身が体と骨をお取りになることがふさわしかったのです(ヘブル人への手紙 2:14〜15)。神は御使いに対して、このようにふるまわれたことは一度もありません。人間に対してだけなのです(ヘブル人への手紙 2:16)。
そして、神がイエスにおいて人となられ、私たちと同じように苦しみ、私たちと同じように試みを受けられたからこそ、イエスは優れた知らせを届けるだけでなく、ご自身が私たちへの知らせそのものなのです(ヘブル人への手紙 2:17〜18)。イエスの死において私たちの罪は赦され、正義が行われ、悪がさばかれました。そして復活において、イエスは王座に着き、創造されたすべてのものを治める人間の権威を回復してくださいました。どの御使いとも違い、イエスはご自身の体をもって、人間がいつか立ち上がって治めるようになるという知らせを、届けるだけでなく生きてくださったのです。確かに私たちは、望むほど十分にその権威を実感してはいません。それでも、私たちの兄弟であるイエスは王の冠を受けて、ご自分の家族が加わるのを待っておられます。
ご自身の目で確かめてみましょう
御子を通して私たちに語られた神を見ることができるよう、聖霊が目を開いてくださいますようにと祈ります。そして、私やあなたのような人間を救うためにすべての権威を与えられた神の御子として、イエスを仰ぐことができますように。

