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ヘブル人への手紙 11:1〜12:3

信仰によって走る

ヘブル人への手紙 11:1〜12:3には、イエスが神の誠実な民の希望すべてを成就してくださる方であり、私たちがイエスに向かって走っているこの競走を走り抜けるよう助けてくださる方だと示されています。

ここで何が起こっているのでしょうか

ヘブル人への手紙は、主にユダヤ人の読者に向けて書かれました。ユダヤ人にとっての将来の希望とは、神とともに住む場所、つまりやがて来る都でした。この信仰があったからこそ、彼らはヘブライ語聖書も、神殿も、律法も、神がその未来の都へ自分たちを導いてくださるための手段だと考えていたのです。アブラハムやモーセといった父祖たちを含め、誠実なヘブル人はみな、神とともにあるこの都が自分たちのもとに来るという希望のために苦難を耐え忍びました。しかし著者は、この手紙全体を通して、これらの制度がイエスを指し示していたことを示してきました(ヘブル人への手紙 10:1)。これらの制度が待ち望んでいたものを、イエスが成就されたのです。イエスこそが、神の都を人のもとにもたらしてくださる方です。 

そのため読者の中には、イエスに従うことは、ユダヤ人の先祖たちが期待してきたすべてと決別することなのだろうか、と考える人もいました。キリスト者になれば、もはやユダヤ人ではなくなってしまうのでしょうか。しかしヘブル人への手紙の著者は、彼らにできる最もユダヤ人らしいことこそ、イエスに希望を置くことだと論じます。なぜならイエスは、先祖たちがみな目指して走っていた目標そのものだからです。それを証明するために、著者は、ユダヤ人の信仰の英雄たちが目を向けていたのは制度ではなく、イエスがもたらすやがて来る都であったことを示していきます(ヘブル人への手紙 11:2〜12)。 

誠実なヘブル人には、ただ一つの目標がありました。それは神を得ることです。彼らはみな、神とともにいられる未来の都に向かって走っていました(ヘブル人への手紙 11:13〜15)。だからこそ彼らは、神を求めるその歩みに対して、神が神ご自身を与え、この未来の家へ連れて行ってくださるという報いを与えてくださると信頼したのです(ヘブル人への手紙 11:16)。この信仰が、どんな障害も苦難も耐え忍ぶ力となりました。ノアは、神が自分をご自身とともに新しく回復された地に導いてくださると信頼して、洪水を耐え忍びました(ヘブル人への手紙 11:7)。アブラハムは、住む家のない暮らしと、実のならない身であること、そして愛する息子を失いかねない事態を、神が住まいと子孫と、神とともにある永遠のいのちを与えてくださると信頼して耐え忍びました(ヘブル人への手紙 11:8〜12、17〜19)。モーセは、荒野で神にお会いすることのほうが、後に残したすべてにまさる価値があると信頼して、エジプトの富と保護を失うことを耐え忍びました(ヘブル人への手紙 11:24〜27)。あらゆる時代の誠実なヘブル人が、拷問、殉教、貧窮、あらゆる種類の苦難を耐え忍んだのは、神ご自身と、神が約束された未来の都を得ることになると信頼していたからです(ヘブル人への手紙 11:35〜38)。彼らは、神がその都を地上にもたらし、苦しみと死の中から自分たちをよみがえらせてくださることを望んでいました。 

それにもかかわらず著者は、この英雄たちの誰一人として、望んでいたものをまだ受け取っていないと言います。誠実なヘブル人はみな、神の都が地上に来ることを待っていたからです。彼らは、神が再び人とともに住まわれる日を待ち望んでいたのです(ヘブル人への手紙 11:39)。 

福音はどこにあるのでしょうか

誠実なヘブル人すべての希望は、イエスにおいて成就しました。それは、イエスこそ「私たちとともにおられる神」であり、この未来の都はイエスを通して来るからです。しかもイエスは、先立つユダヤ人の英雄たちと同じ道を通って、この都をもたらされます。イエスは、神が自分を死からよみがえらせ、来るべき都で最も高い栄誉の座に着かせてくださると信頼して、十字架の恥と敵意と責め苦を耐え忍ばれました(ヘブル人への手紙 12:2〜3)。そうすることによって、イエスはご自分こそヘブル人の希望すべてを成就できる方であることを示されたのです。イエスは再び地上に来られ、神の都をもたらし、ご自分に信頼するすべての人を苦しみと死の中からよみがえらせてくださいます。ですから、未来の都を求めて神に信頼した誠実なヘブル人は、究極的にはイエスに信頼していたのです。 

最もユダヤ人らしいこととは、ノア、アブラハム、モーセ、そしてイエスが走ったその競走を走り続けることです。彼らはみな、神の未来の都で神とともにいるという目標に向かって走っていました。今度は私たちが、この信仰のリレー競走を走る番です。信仰の英雄たちは、希望のバトンを私たちの手に託しました。だからこそヘブル人への手紙の著者は、忍耐をもって走り続けようと私たちに勧めるのです。競走はまだ終わっていないからです(ヘブル人への手紙 12:1)。ノア、アブラハム、モーセの希望が完成するのは、私たちの区間が走り終えられるときだけなのです(ヘブル人への手紙 11:40)。ですから私たちは、この競走を始め、そして完成してくださる方であるイエスに目を注ぎます(ヘブル人への手紙 12:2)。私たちも、ユダヤ人の先祖たちがしてきたことをするのです。どんな苦難を耐え忍ばなければならないとしても、イエスが私たちをご自身とともにある未来の都へ連れて行ってくださると信頼するのです(ヘブル人への手紙 11:16)。 

ですから、自分の競走を走り抜きましょう。イエスがご自分自身を与えたいと願っておられることを信頼してみましょう。イエスは、あなたを家へと連れ帰りたいと願っておられます。それはどんな洪水も、住む場所のない日々も、どんな喪失も、どんな十字架も乗り越えさせてくれるほど、すばらしい希望です。この希望こそが、回復された地へ、未来の家へ、そして誠実に求め続けてきたイエスとともにある永遠のいのちへと導いてくれるのです(ヘブル人への手紙 10:23)。 

ご自身で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、神が私たちとともにいたいと願っておられることが見えるように祈ります。そして、私たちがイエスに向かって走るこの競走を走り抜けるよう助けてくださる方こそイエスだと、はっきり見えるようになりますように。 

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