ここで何が起こっているのでしょうか
洗礼を受けて水をくぐり抜けたイエスは、聖霊に導かれて荒野に行き、悪魔の誘惑を受けられます(マタイの福音書 4:1)。四十日四十夜断食されたという記述は、この出来事を旧約聖書のよく知られたもう一つの物語と結びつけています。
イスラエルもまた、神が紅海を分けられたとき、水をくぐり抜けました。そこから神はモーセと民を荒野へと導かれました(出エジプト記 15:22)。目指していたのはカナンの地、すなわち神がご自身の国を建てられる約束の地でした。そしてイエスと同じように、モーセもシナイ山で四十日四十夜断食したのです(出エジプト記 34:28)。
ところが荒野で、イスラエルは誘惑に負けて罪に陥り、永遠に続く神の国を建てることができませんでした(出エジプト記 32:1)。
しかしイエスは、イスラエルが失敗したところで勝利されます。荒野で誘惑を退けられたのです。イスラエルはカナンで敵を追い払うことができませんでしたが、イエスはただ一言で真の敵を追い出されました(マタイの福音書 4:10)。神はイスラエルに約束の土地を受け継ぐよう召されましたが、イエスは創造されたすべてのものに対する権威を示されます(ヨハネの黙示録 21:5)。イエスは、モーセにもイスラエルにもまさる新しいモーセ、新しいイスラエルであり、神の支配とご統治をこの世界にもたらされる方なのです。
ですから、イエスの最初のメッセージが神の国の近づいたことであったのも、当然と言えるでしょう(マタイの福音書 4:17)。イエスはその国の最初の四人の民を招き、人間をとる漁師にしようと言われました(マタイの福音書 4:19)。神はエレミヤ書 16:16で、あらゆる国々から人々をご自身の国へ連れて来る漁師と狩人を送ると約束されました。そしてイエスにおいて、この約束が現実となるのです。
福音はどこにあるのでしょうか
イエスは私たちと同じようにあらゆる点で誘惑を受けられましたが、罪を犯されませんでした(ヘブル人への手紙 4:15)。イスラエルは自分の力で罪と悪魔に打ち勝つことができませんでしたが、イエスはご自分がすでに世に勝ったと宣言されます(ヨハネの福音書 16:33)。イエスは荒野で悪魔に勝利され、そしてついにはその死と復活によって勝利されたのです。
サタンという言葉は、文字どおり「訴える者」を意味します。その最大の武器は、私たちの罪や失敗を指し示し、「もう希望などない」という証拠として突きつけることです。しかしイエスが誘惑に耐え、罪を打ち破り、墓からよみがえられたとき、この訴える者が実は無力であることが明らかにされました。今、キリストにあって、私たちに向けられる訴えは、もはや一つも成り立ちません(ローマ人への手紙 8:1)。こうしてイエスは、サタンの力を公然と恥ずかしめられたのです(コロサイ人への手紙 2:15)。
私たちが罪に抵抗できるのは、私たちのうちにおられる聖霊が、イエスを導き、神のことばによって抵抗する力を与えたのと同じ聖霊だからです(ローマ人への手紙 8:11)。イエスは罪と死と悪魔の力から私たちを解き放ち、最初の弟子たちと同じように、私たちを神の国の民だと宣言してくださいました。
ご自身の目で確かめてみましょう
失敗しか知らなかったところに勝利を与えてくださる神を見る目を、聖霊が開いてくださるようお祈りします。罪とサタンに打ち勝たれた方としてイエスを仰ぎ、その聖霊によって、神の国の民として自由に生きることができますように。


