何が起こっているのでしょうか
ルカは、イエスの奇跡を私たちに見せ、「イエスとはどなたなのか」という問いと格闘してほしいと願っています。
イエスは嵐をお叱りになり、悪霊を追い出されます。長年病に苦しみ、その衣に触れた女性をいやし、手を触れて死んだ少女をよみがえらせます。男だけで五千人、さらに女性や子どもたちをも奇跡的に養われます。そのうえ、ご自分の権威を弟子たちにお委ねになるのです。
ヘロデ王がイエスは何者なのかと思いめぐらしている一方で、ペテロははっきりと、イエスは「神のキリスト」だと告白します(ルカの福音書 9:20)。イエスこそ、イスラエルをその罪から救い、貧しい人々に良い知らせを告げると旧約聖書で預言されていた方です(ルカの福音書 4:18)。ペテロは、永遠に神の国を確立するダビデ王のまことの後継者として、イエスを見分けたのです。
神は山の上で、この神としてのご身分を確かに示されます。輝く雲がイエスと弟子たちを包んだのです。イエスはどなたなのでしょうか。雲の中から声が響きます。「これはわたしの子、わたしが選んだ者。彼の言うことを聞きなさい」(ルカの福音書 9:35)。
しかし、イエスが選ばれた方であることは、その死を通してのみ証しされていきます。それだけではありません。イエスに従いたいと願う者はだれでも、「自分の十字架を負い」、自分もまた死ななければならないのです(ルカの福音書 9:23)。私たちがイエスに従う道とは、イエスのように死ぬことなのです。
続いてルカは、いのちや力、権威にしがみつこうとする弟子たちの姿を四つの場面で描きます。イエスに従うことが自分のすべてを差し出すことだと、彼らはまだ理解していませんでした。
福音はどこにあるのでしょうか
では、神の国に入るために自分のいのちを捨てなければならないことが、なぜ良い知らせなのでしょうか。いのちを得たいなら、大切にしているすべてを明け渡し、自分の十字架を負って、イエスと共に死ななければならない——それがなぜ良い知らせなのでしょうか。
その答えは、「イエスはどなたなのか」という問いに答えるときに見えてきます。ペテロが宣言し、神が語られたとおり、イエスは選ばれた方です。イエスは最も小さい者となるために選ばれました。それによって、ご自身と、ご自身に従うすべての者が、天国において偉大な者となるためです。
弟子たちはこの真実を理解できませんでした。彼らは偉大さを competing ではなく——偉大さを競い合い、神の敵の上に火を降らせたいと願ったのです(ルカの福音書 9:54)。しかしイエスは、旧約聖書のすべての預言者が、はるかに犠牲に満ちた道を指し示していたのだと語られます(ルカの福音書 9:58)。
イエスは、偉大さについての私たちの考えを取り上げ、それをすっかりくつがえされます。そしてそれこそが良い知らせなのです。なぜなら、それが永遠のいのちへ導く唯一の道だからです。確かに私たちは全世界を失います。しかし、自分のたましいを得るのです(マタイの福音書 16:26)。イエスが選ばれたのは、ご自分に従って死に至る道こそがまことのいのちへの唯一の道であることを示すためでした。
自分の目で見てみましょう
聖霊が目を開いてくださり、犠牲をいのちへと変えてくださる神を見ることができますように。そして、その死と復活によっていのちをもたらす、選ばれた方としてのイエスを仰ぐことができますように。

