何が起こっているのでしょうか
ルカは、バプテスマのヨハネこそ、主の道を用意すると長く預言されてきた使者であると語っています(イザヤ書 40:3)。
ヨハネは悔い改めとさばきのメッセージを携えて現れました。まっすぐな人格と、へりくだった心を求めたのです。権力を持つ者たちに対しても大胆に語り、やがてそのことで命を落とすことになります。ヨハネは、悔い改めと過去の罪との決別のしるしとして、従う人々に洗礼を授けました(ルカの福音書 3:3)。
しかしヨハネは、聖霊と火による洗礼を授ける方がほかに来られる、と告げます(ルカの福音書 3:16)。世界を変える出来事が火のように迫っており、それは私たちを精錬するか、焼き尽くすかのどちらかだ、とヨハネは警告するのです。
イエスも群衆とともに来られ、ヨハネから洗礼を受けられます。そして水から上がられたとき、天が開けて、聖霊が鳩のようにイエスの上にとどまった、とルカは記しています(ルカの福音書 3:21)。天から大きな声がこう宣言しました。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(ルカの福音書 3:22)。
続いてルカは、この天からの宣言を裏づけるように、最初の「神の子」であるアダムまでさかのぼる系図を記しています(ルカの福音書 3:38)。
それから聖霊はイエスを荒野へと導き、そこでイエスは悪魔の誘惑を受けられます(ルカの福音書 4:1〜2)。悪魔はヘブライ語聖書を引用して、イエスが使命を捨てることを正当化しようとしますが、イエスはそのたびに申命記のことばで退けられました。悪魔はイエスから離れ、もっと良い機会をうかがうことにします(ルカの福音書 4:13)。
福音はどこにあるのでしょうか
ルカは、バプテスマのヨハネの役割をイザヤのことばと結びつけています。イザヤは、すべての人が神の救いを見ると預言していました。シメオンが神殿で幼子イエスを抱いたとき、彼は自分の目が神の救いを見たと告げました(ルカの福音書 2:30)。そしてヨハネがイエスに洗礼を授けたとき、神ご自身がそれを確かなものとされたのです。
イエスこそ、長く待ち望まれてきた神の救いにほかなりません。
洗礼のその時から、ルカはイエスを聖霊に満たされた方として描いていきます。イエスのその後の働きはすべて、聖霊の導きと力によって進められていくのです(ルカの福音書 3:22)。
復活の後、イエスは従う者たちに、この聖霊が彼らのうちにも住まわれると告げられました(使徒の働き 1:8)。イエスへの信仰によって、私たちもその御霊に満たされ、導かれるのです。今や私たちは、神の子どもとしての確かな身分の中に立ち、神の臨在の力を受けて、イエスのように生きることができます。
これが可能となったのは、イエスがアダムにまさる方、神の子としてまさる方だからです。アダムは豊かな園にいながら一度も抗えなかったのに、イエスは実のならない荒野で三度も退けられました。アダムが失敗したところで、イエスは勝利されたのです。
パウロは、これこそ良い知らせだと言います。神の子としてのアダムの不従順が全人類に死をもたらしたのと同じように、まことの神の子としてのイエスの従順がアダムの不従順を覆し、イエスに属するすべての者にいのちをもたらすからです(コリント人への手紙Ⅰ 15:22)。
ご自身の目で見てみましょう
聖霊が目を開いてくださり、御子を喜ばれる神を見ることができますように。そして、私たちが失敗するところで勝利され、私たちが神の子どもと呼ばれるようにしてくださった、新しくよりすばらしいアダムであるイエスを見ることができますように。

