何が起こっているのでしょうか
仮庵の祭りは、イスラエルで最も大きな祭りの一つでした。人々は一週間、天幕で暮らし、荒野をさまよったイスラエルを神がどのように養ってくださったかを思い起こしました。祭りの間、大祭司は毎日シロアムの池まで行列を組んで進み、金の水がめに水を満たして神殿へ戻ります。そして賛美の歌とともに、その水を主の前に注ぎ出しました。それは、ご自分の民にいのちと祝福を与えるという神の約束のしるしでした。
この祝いの真ん中で、イエスはエルサレムに上って行かれます。群衆の意見は分かれていました。この方こそキリストだと思う人もいれば、そんなはずはないと疑う人もいたのです(ヨハネの福音書 7:25〜31)。宗教指導者たちは、イエスを捕らえるために役人たちを遣わします(ヨハネの福音書 7:32)。しかしイエスは、この祭りの頂点である水の儀式を用いて、驚くべき宣言をなさいます。
祭りの最後の、最も大切な日、水が注ぎ出されているまさにそのとき、イエスは立ち上がって大声で叫ばれました。「だれでも渇いているなら、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その心の奥底からいのちの水の川が流れ出るのです」(ヨハネの福音書 7:37〜38)。
福音はどこにあるのでしょうか
イエスは、仮庵の祭りの全体をご自分を中心に読み替えておられます。毎年注ぎ出されていた水は、かつて神が荒野でイスラエルに水を与えてくださったことを思い起こさせるものでした(出エジプト記 17:6)。しかしいま、イエスは、ご自身こそがいのちの水のまことの源だと言われるのです。
ヨハネは、イエスが聖霊について語っておられたのだと教えています(ヨハネの福音書 7:39)。エゼキエルが幻の中で見た神殿から流れ出る水——死を、いのちへと変えていく流れ(エゼキエル書 47:1〜12)——は、イエスにおいて成就します。そして後にヨハネがヨハネの黙示録で見ることになる川——神の御座から流れ出て諸国の民をいやす川(ヨハネの黙示録 22:1〜2)——も、イエスから始まるのです。
イエスは、私たちの渇きをいやすと約束されるだけではありません。私たち自身がいのちの水の流れる通り道となるように、御霊で満たしてくださると約束しておられます。イエスの臨在が私たちを通して流れ出て、この世界にいのちと、いやしと、喜びをもたらすのです。神が荒野でイスラエルとともに天幕に住まわれたように、いま、イエスの御霊によって神は私たちの内に住まわれ、私たちを生きた神殿としてくださいます。
ご自身の目で見てみましょう
渇いた魂を満たしてくださる神を見ることができるよう、聖霊が目を開いてくださいますように。そして、いのちの水のまことの源であるイエスを見ることができますように。その御霊は、この世界のためのいのちの川のように、私たちを通して流れていくのです。

