ここで何が起こっているのでしょうか
ヨハネは今、イエスが復活させてくださる、殺されたすべての誠実な者たちの名が、封印された巻物の中に記されていると告げられたところです。巻物が約束する復活を実現できるのは、ただイエスだけです。そしてイエスが神の復活の王国を告げ知らせる前に、まず七つのろうの封印を解かなければなりません(ヨハネの黙示録 5:1〜5)。
イエスが最初の四つの封印を解くと、神の御座を囲む生き物たちが四人の騎手を呼び出します。彼らが描き出すのは、イエスの死と復活、そして王としての即位が地上にもたらす結果です。イエスの福音は勝利をもって全世界を進み行きますが、それと共に分裂、貧窮、さらには死までもが続きます(ヨハネの黙示録 6:2〜8)。イエスは王として治めておられますが、その民はなお苦しみ続けるのです。
続いてイエスが五つ目の封印を解くと、ヨハネは、神の祭壇のまわりにイエスのことばのゆえに死んだ者たちがみないるのを見ます(ヨハネの黙示録 6:9)。彼らは神に、いつになったら自分たちを敵の上に立たせて生き返らせ、その死の正しさを認めてくださるのかと問いかけます(ヨハネの黙示録 6:10)。ところが答えの代わりに与えられたのは、さらに多くの兄弟姉妹がイエスのことばのゆえに死ぬまで待つように、ということばでした(ヨハネの黙示録 6:11)。待ち望む殉教者一人一人に白い衣が与えられます。それは彼らが持つ天の力と権威を表すしるしであり、まだ多くの兄弟姉妹が自らの死を通してこれから受け取ることになるものです。
次にイエスが六つ目の封印を解くと、地は崩れ落ちるかのように見えます。イスラエルの預言者たちやイエスが用いた表現を使いながら、六つ目の封印は、エルサレムの神殿が滅ぼされる時を描いています(ヨハネの黙示録 6:12〜14、マタイの福音書 24:4〜8)。その時、イエスとイエスを信じる者たちを殺した責任を負う支配者たちは、山へと逃げ込みます。神殿の来るべき崩壊についてのイエスの警告に耳を傾けなかったからです(ヨハネの黙示録 6:15〜17)。そしてヨハネは、イエスがその警告に従う者たちを守り、集めてくださる幻を見ます(ヨハネの黙示録 7:1〜3)。驚くべきことに、イエスに誠実であり続けた者たちは、イスラエルの十二部族の出身者だけではなく、全世界のあらゆる部族から集められた人々でした(ヨハネの黙示録 7:4〜9、14)。そして彼らは共に、エルサレムとその神殿に臨んだ滅びから自分たちを守り、救い出してくださった神を賛美するのです(ヨハネの黙示録 7:10〜12、15〜17)。
ついにイエスが七つ目の封印を解くと、天国にいる者はみな巻物が読まれるのを待ち、静けさが訪れます(ヨハネの黙示録 8:1)。しかし、すぐには読まれません。王の布告の多くがそうであるように、まずラッパが呼び出され、吹き鳴らされます(ヨハネの黙示録 8:2)。それから一人の御使いが、神の民の祈りで満ちた鉢を取り、それを地に注ぎます。祈りが願った通りに、神は地をきよめ、揺り動かしてあらゆる悪を取り除き、復活した聖徒たちで満たされる地として整えてくださるのです(ヨハネの黙示録 8:3〜5)。
福音はどこにあるのでしょうか
死者の中からの復活と敵に対する勝利は、神の民に必ず訪れます。けれどもその前に、さらに多くの敵が神とその民に対して結集します。良い知らせは、より多くの聖徒たちが悪しき力の下で死んでいくにつれ、彼らがよみがえらされる時、より多くの支配者がイエスの——その正しさが認められた——王国に加えられるということです。さらに彼らの死とその祈りは、神が地をきよめ、復活の王国のために整えてくださる手だてとなるのです。
これは、今この時にイエスのゆえに苦しみ、死んでいく多くの信じる者たちにとっての良い知らせです。死ぬことによって治められた王に従う者として、私たちもその模範に従い、死に至るまで苦しみを耐え忍びます(ペテロの手紙Ⅰ 2:21)。イエスの王国に入る第一歩は、その死にあずかる洗礼です(ローマ人への手紙 6:3)。すべてのクリスチャンは、十字架につけられた王の道を歩み、自らをささげる生き方をするのです(マタイの福音書 16:24〜26)。イエスに従う者はみな、苦しみを受け、死ぬことになります。けれどもヨハネの黙示録は、イエスと共に死ぬ者はみな、やがてイエスと共によみがえり、その正しさを認められると告げているのです。
死は終わりではありません。それは勝利といのちへの道なのです(マタイの福音書 16:25)。十字架につけられた王が天国で治めておられます。この王が、すべてを正しくしてくださるのです。墓の底にまで下り、天の御座の高きにまで上られたこの王の手の届かないものは、何一つありません。その王国は必ず来て、創造されたすべてのものを復活のいのちで満たしてくださるでしょう。
ご自身の目で見てみましょう
聖霊が目を開いてくださり、死からいのちをもたらしてくださる神を見ることができますように、と祈ります。そして、十字架につけられた私たちの王であるイエス、ご自身と共に死んだすべての者を勝利へとよみがえらせてくださるイエスを、仰ぎ見ることができますように。

