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ヨハネの黙示録 14〜16章

殉教者の血

ヨハネの黙示録 14〜16章から、イエスが私たちを祭司としてくださったことを見ていきます。それは、犠牲としてささげられる私たちの生涯が世界に癒しと救いをもたらし、悪しき者を裁き、人々を悔い改めへと導くためなのです。

何が起こっているのでしょうか

ヨハネは、殉教したクリスチャンたちの血が全世界を癒していくという幻を見ます。先の幻でヨハネは、竜が海から巨大な獣を、そして地からもう一頭の獣を立ち上がらせるのを見ました。この三者は、クリスチャンを傷つけ殺すために手を組む、サタン・諸帝国・皇帝への賛美という悪霊的な三位一体を象徴しています(ヨハネの黙示録 12:1〜13:18)。しかしヨハネには、全能とも見えるこの悪霊的な三位一体を打ち破る、祭司たちの軍勢の幻も示されます。

神の神殿の中、神の御座の前に、十四万四千人の祭司の軍勢が立っています。旧約聖書の祭司たちのように、その額には神の名が記され、彼らは歌を歌っています(出エジプト記 28:36〜38、ヨハネの黙示録 14:1〜3)。彼らは、獣たちのゆがんだ歩みに加わることを拒み、迫害と死に直面してもイエスに誠実であり続けた、すべての信じる者たちを表しています(ヨハネの黙示録 1:4〜6、14:4〜5)。

すると突然、三人の天使が現れ、神の国の到来と悔い改めの必要を告げ知らせます。第一の天使は、神の国がもうすぐ来るのだから、すべての民は悔い改めるべきだと宣言します。イエスを王として仕えることで悔い改める人はみな、滅びに向かう竜の諸帝国から逃れ、いのちをもたらすために来る神の国に加わるからです(ヨハネの黙示録 14:6〜7)。第二の天使はバビロンの崩壊を告げます。バビロンとは、神の国に敵対する帝国の名です。バビロンは国々をまるごと説き伏せ、自分と共にほかの神々を賛美し、ほかの王国に仕えるようにさせてきました(ヨハネの黙示録 14:8)。続いて第三の天使が現れ、なお獣の諸帝国に仕え続ける者たちにとって、神の国の到来がどのようなものとなるかを宣言します(ヨハネの黙示録 14:9〜11)。神の国がついに来る時、神の名を刻まれた祭司たちは喜び、獣に仕える印を帯びた者たちは泣き悲しみます。この三人の天使の使者たちは共に、イエスご自身が地上で宣べ伝えられた福音を告げ知らせているのです。「悔い改めなさい。天の国は、もうここに来ているのです」という福音です(ヨハネの黙示録 14:12〜13)。

次にヨハネは、神の印を帯びた祭司たちの死が、獣のような諸帝国の征服と、その下に閉じ込められていた人々の救出につながっていく幻を示されます。天では、神から遣わされた二人の刈り手が、地に実った穀物とぶどうを刈り入れるために呼び出されます。穀物は集められ、ぶどうは酒ぶねで踏まれ、その汁が谷を満たすほどになります(ヨハネの黙示録 14:14〜20)。このぶどうから出たぶどう酒とは、神の印を帯びた十四万四千人の祭司たちの血なのです。ここでヨハネは、出エジプト記の物語の繰り返しを見ています。紅海のほとりで、ファラオに追われた神の民は滅びる寸前でした。しかし神は海の中に道を開き、死から抜け出していのちへと導かれました。海はファラオを飲み込み、救い出されたイスラエルの民は、静まりかえった海の向こう岸で神を賛美しました。ヨハネの黙示録では、殉教者たちの血がもう一つの海となって獣のような国々を覆い、神の民を死からいのちへと救い出します。今、神の祭司たちは静まった海の向こう岸に立ち、救い出されたことのゆえに神を賛美しているのです(ヨハネの黙示録 15:1〜4)。出エジプト記でもヨハネの黙示録でも、神の民は、自分たちを奴隷としていた悪しき諸帝国から離れ、神の国に入る時に救われます。

続いて神は、七つの注ぎ出される鉢として描かれる殉教者たちの血を用いて、地を洗いきよめられます。殉教者たちがバビロンの残虐さの下で死んでいく時、その血は、バビロンの行いの邪悪さを明らかにし、人々の心から暴虐を洗い落として、悔い改めへと導くためのものでした。この七つの鉢は、いずれもエジプトに下った災害を思い起こさせます(出エジプト記 7:1〜11:9)。しかし今度は、それがバビロンと、その獣のような住民たちの上に下るのです(ヨハネの黙示録 14:8、16:1〜21)。出エジプト記と同じように、これらの災害は悔い改めをもたらすためのものです。ところが、出エジプト記のファラオと同じように、来たるべき神の国に敵対する者たちは悔い改めません(ヨハネの黙示録 16:9、11)。それゆえ、バビロンの王国は、到来する神の国の重みの下に立ち続けることができないのです(ヨハネの黙示録 16:19〜21)。

福音はどこにあるのでしょうか

驚くべきことに、神がサタン・帝国・皇帝への賛美という悪霊的な三位一体を滅ぼされる方法は、殉教したクリスチャンたちの血によるものでした。神は、神の印を帯びた祭司たち——すなわちイエスを信じるすべての者——の血を通して世界を裁き、そこから悪を取り除かれるのです。

イエスは殉教者たちのかしらであり、来たるべき神の国を宣べ伝え、人々がその国に加わることができるように、彼らを悔い改めへと導かれる方です。イエスは、バビロンの力の下にある人々を新しい国へと招くことによって救い出すために来られました。そしてそれを、やがてご自身の体である殉教者たちがそうするように、バビロンの手で死ぬことによって成し遂げられたのです。十字架で流されたその血によって、イエスは今、新しい民をきよめ、造り出しておられます。それは、新しい世界をきよめ、造り出すための民です。ヨハネがヨハネの黙示録の冒頭で語ったように、その同じ血が、この民をイエスのような祭司としました(ヨハネの黙示録 1:5〜6)。私たちはイエスのような祭司とされたのです。世界から悪を取り除くような形で死ぬためにです。そして、世界を悔い改めへと導き、悪しき諸帝国の運命から逃れさせるのは、イエスを信じる者たちが犠牲としてささげる生涯なのです。

イエスがその血によってきよめてくださったのなら、あなたは神の祭司です。その生も死も、ささげられた犠牲です(ローマ人への手紙 12:1)。私たちの人生は、到来する神の国が流れ通る、生きた管なのです(ルカの福音書 17:21)。イエスに誠実であったゆえに友や家族を失った方がおられるなら、ヨハネの黙示録の良い知らせはこうです。その人たちは今、天国で祭司として立っているのです。その血は無駄になっていません。今この時も、世界に向かって、そして自分を迫害した者たちに向かって、彼らを悔い改めへと導くために叫び続けています。私たちは皆——すでに死んだ人々さえも——自らを犠牲としてささげる、生きた祭司です。そして神は、イエスのゆえに、私たちの犠牲こそが神の国を世界にもたらす道であると約束しておられます。

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、ご自分の民を救い出される神を見ることができますよう祈ります。そして、犠牲としてささげられる私たちの生涯が世界に癒しと救いをもたらすように、私たちを祭司としてくださった方としてイエスを見ることができますように。

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