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デボーション

ゼカリヤ書 10〜11章

良い羊飼い

ゼカリヤ書 10〜11章では、イエスこそ良い羊飼いであり、腐敗した指導者たちに立ち向かい、その群れを守り、羊のためにいのちを捨ててくださる方であることが示されています。

ここで何が起こっているのでしょうか

神が立てられた指導者たちは、羊飼いが羊を導くように、神の民を養い、守る務めを担っています。しかしゼカリヤは、イスラエルの羊飼いたちがますます腐敗していくと語ります。次第に責任を放棄し、神の群れを食い物にしていくのです。やがて神の民は、荒野をさまよう飢えた羊のようになってしまいます(ゼカリヤ書 10:2)。 

イスラエルの羊飼いたちが群れを餌食にするその姿に怒りを燃やされた神は、新しい指導者を与えると約束されます(ゼカリヤ書 10:3)。ユダとヨセフの王家の血筋から新しい羊飼いが立ち上がり、イスラエルの腐敗した羊飼いたちと戦うのです。そしてこの良い羊飼いは、あわれみをもって散らされた神の群れを世話し、新しい王国へと集めてくださいます(ゼカリヤ書 10:4〜7)。イスラエルの腐敗した羊飼いたちは泣き叫ぶほかありません。その終わりは避けられないからです(ゼカリヤ書 11:1〜3)。

やがて神は、イスラエルの指導者たちにも、その不正な体制を支える民にも、もはやあわれみをかけられなくなります(ゼカリヤ書 11:5〜6)。この来たるべき現実を示すしるしとして、ゼカリヤ自身のこれからの歩みが預言となっていきます。神はゼカリヤに、イスラエルの腐敗した羊飼いたちと並んで指導者の立場に就くよう命じられました(ゼカリヤ書 11:4)。指導する間、ゼカリヤは常に二本の羊飼いの杖を手にしています。彼はその杖に「結合」と「恵み」という名をつけました(ゼカリヤ書 11:7後半)。指導を始めた最初の月に、腐敗した三人の羊飼いを退けることに成功しますが、そのために憎まれてしまいます(ゼカリヤ書 11:8)。そこでゼカリヤは「恵み」という名の杖を折ります。これは、神がもはやご自身の良い導きという恵みをイスラエルに与えないというしるしです(ゼカリヤ書 11:10〜11)。むしろ神は、彼らが互いを餌食にする習わしのままに、互いを食い合い、滅ぼし合うようにされるのです(ゼカリヤ書 11:9)。ゼカリヤを黙らせようと、腐敗した羊飼いたちは銀貨三十枚を彼に払います。しかしゼカリヤは黙ることを拒み、代わりに「結合」という名の杖を折りました(ゼカリヤ書 11:12〜13)。イスラエルの羊飼いたちは神の民を一つに結び合わせることができたはずでした。しかし今、彼らには暴力と内戦と分裂というのろいが下るのです(ゼカリヤ書 11:14)。

そして最後の行動による預言として、ゼカリヤは腐敗した羊飼いの道具を手に取ります(ゼカリヤ書 11:15)。それは、これから先イスラエルが、曲がった杖を持つ指導者たちに導かれ、その者たちが虐げられた.人々を顧みず、神の群れを食い物にすることを示しています(ゼカリヤ書 11:16〜17)。

福音はどこにあるのでしょうか

神と同じように、そしてゼカリヤと同じように、イエスは良い羊飼いです(ヨハネの福音書 10:11)。ユダとヨセフの王家の血筋から来られたイエスは、虐げられた.人々を守り養うことを拒む腐敗した羊飼いたちと戦うために、いのちの危険を冒されました(マルコの福音書 3:1〜6)。あわれみに満ちたイエスは、飢えた者、散らされた者、貧しい者を養い、いやし、良い知らせを告げられます(マタイの福音書 9:36)。イエスこそ、ゼカリヤが来ると預言した良い羊飼いなのです。 

しかし良い羊飼いは、群れの中で最も弱い者を世話するだけではありません。曲がった杖を持つ羊飼いたちを退けもするのです。イエスは、ゼカリヤの後に立ち上がった指導者たちはみな腐敗していたと語られました(ヨハネの福音書 10:8)。彼らは強盗の巣であり、自分が守るように任された者たちを盗み、殺し、滅ぼそうとたくらんでいました(ヨハネの福音書 10:10前半)。自らの務めを投げ捨て、本来なら守るべき力から羊が傷つけられるのを放置したのです(ヨハネの福音書 10:12)。

だからこそイエスは、神殿で彼らの台をくつがえされました。それはイスラエルの指導者たちを退けることであり、民を食い物にする彼らの宗教体制を拒むことでした。その日、神殿においてイエスは、彼らの神殿に対する神の恵みを断ち切り、三日のうちに建て直されると約束されました(マタイの福音書 27:63、ヨハネの福音書 2:19)。しかしゼカリヤの場合と同じように、イエスのことばもまた銀貨三十枚によって黙らされてしまいます(マタイの福音書 26:15)。曲がった杖を持つ羊飼いたちが、イエスを殺し、葬ったのです。 

けれども三日後、私たちの良い羊飼いは死からよみがえられました。今イエスは、あらゆる王座と宗教的権力の上にある王座に座しておられます(マルコの福音書 16:19)。神の賛美の場を用いてご自身の羊を虐げる指導者やその取り巻きを、イエスは決して黙認されません。自分の欲望を満たすためにイエスの名を用いる者はだれであれ、その座から退けられます。イエスは虐げられた.者たちの良い羊飼いだからです。もし教会で傷を受けているなら、イエスに叫び求めてみましょう。イエスは、あなたを傷つける者たちをその力の座から取り除く意志と力を持っておられます。そしてもし神の民を導く立場にあるなら、あなたの良い羊飼いの模範に従っていきましょう。神の群れを守り、養っていきましょう。神はその群れを深く心にかけておられるのですから。 

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が目を開いてくださり、良い羊飼いである神を見ることができますようにと祈ります。そして、いのちを犠牲にしてまで群れを守られる方として、イエスを仰ぐことができますように。

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