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ダニエル書 8〜12章

世界の終わりでしょうか?

ダニエル書 8〜12章で示されているのは、これらの夢の目的が、歴史を起こる前から知っておられる神に信頼することにある、ということです。神はイエスにおいてご自身を現され、イエスが死なれたとき、イスラエルの追放の時は完了しました。イエスにあって、すべての罪は赦されるのです。

何が起こっているのでしょうか

ダニエル書の最後の五章には、一連の幻が記されています。それぞれの幻は、イスラエル、あるいはダニエル自身、あるいはバビロンから治める王たちのだれかを励ますためのものでした。全体として、どの幻も伝えているメッセージは同じです。見た目がどうであれ、神が支配しておられる、ということです。神は王たちを治め、王が興る時も、王国が倒れる時も、神が定めておられます(ダニエル書 7:27)。

最初の幻は、メディア、ペルシア、ギリシアという帝国の興亡を描いています(ダニエル書 8:20〜21)。ギリシアが倒れると、それより小さな王たちが数人現れますが、やがてさらに強大な、名の明かされない王に取って代わられます(ダニエル書 8:24)。こうした権力の移り変わりは一見すべて政治的な出来事のようですが、御使いはダニエルに、これらの帝国は人の手によらずに砕かれると告げます(ダニエル書 8:25)。見た目がどうであれ、神が支配しておられるのです。

二つ目の幻は、ダニエルが長い時間を祈りと断食、そしてエレミヤ書を読むことに費やしたあとに与えられました。エレミヤは、イスラエルの罪がバビロンでの七十年の捕囚を招くと預言していました(ダニエル書 9:2)。ダニエルはその七十年が満ちたことに気づき、神が救い出してくださることを期待して、イスラエルに代わって悔い改めます(ダニエル書 9:18〜19)。ところが答えとして御使いが説明したのは、イスラエルの罪があまりにも大きいため、七十年が七十「週」、つまり七十年の七倍に延ばされるということでした。そのときになって初めて、イスラエルの罪は赦されます(ダニエル書 9:24)。そのときになって初めて、イスラエルの追放は終わるのです(ダニエル書 9:27)。

三つ目の幻には、川の上に浮かんでいる恐るべき者が登場します(ダニエル書 10:5〜6)。その者はダニエルを深い眠りに落とし、彼を神に深く愛されている人と呼びます(ダニエル書 10:9、18〜19)。それから、さらに一連の争いを預言します。第一に、ペルシアがギリシアの手に落ちることが再び予告されます(ダニエル書 11:2)。第二に、名の明かされない「北の王」と「南の王」との間の長い物語が語られます。中でも特に注目されるのは、いつか北から興り、エルサレムの神殿を荒らす一人の支配者です(ダニエル書 11:21、31)。しかしその者は、興るのと同じくらい速やかに倒れ、だれも彼を救うことはできません(ダニエル書 11:45)。そしてその同じ日に、死者はよみがえり、永遠の栄光か永遠の恥辱かに向かうのです(ダニエル書 12:2)。これらの幻には幾重にも意味が重ねられていますが、要点はいつも同じです。支配しておられるのは神であり、ほかのだれでもない、ということです。帝国の動きから魂の最終的な行き先まで、神の視界の外にあるものは何一つありません。

その者の預言が終わると、川辺に新たに二人の者が現れます。その一人が、これらすべてはいつ起こるのかと尋ねます(ダニエル書 12:6)。すると最初の恐るべき者は、意図的にあいまいな答えを返します——「一時と二時と半時」(ダニエル書 12:7)。ダニエルがさらに詳しく知ろうと迫ると、その者はもうやめるように言い、答えは終わりの時まで封じられていると告げます(ダニエル書 12:9)。

福音はどこにあるのでしょうか

私たちもダニエルと同じように、これらすべてがいつ起こるのかを知りたいと思います。いつ苦しみが終わるのか、いつ悪い王たちが報いを受けるのか、いつ神がご自分の民を死からよみがえらせてくださるのか——はっきりした予定表がほしいのです。けれども、これらの夢の目的は、私たちが歴史を起こる前から知ることではありません。目的は、歴史を起こる前から知っておられるに信頼することです。私たちに必要なのは「いつ」を知ることではなく、「だれ」を知ることなのです。見た目がどうであれ、そして未来を知りえない私たちであっても、神は今も支配しておられ、私たちはその神に信頼できます。実は、それがダニエル書の締めくくりの言葉でもあります。ダニエルは問い続けることと思い煩うことをやめて休むように告げられます。神が必ずイスラエルを、約束された民としての相続地へ導き入れてくださるからです(ダニエル書 12:13)。七十かける七の時をもって、神はイスラエルの追放を終わらせ、その罪を赦し、ご自身のうちに正義と復活の新しい王国を打ち立てられるのです。

聖書の中で次に「七十かける七」が出てくるのは、イエスがペテロに、自分に対して罪を犯した者を七十かける七回赦すようにと言われる場面です(マタイの福音書 18:22)。イエスこそ、イスラエルの追放を終わらせる王です。イスラエルの罪を赦してくださる方だからです。イエスにあって、七十かける七年分の積み重なった罪の重みが、ついに七十かける七回の赦しによって償われました。そしてダニエルが望みを抱いていたとおり、イエスの赦しは、神のすべての民のために復活のいのちに生きる新しい王国を始めるのです。墓の中でのイエスの追放が、諸国民の間でのイスラエルの追放を完了させました。そして今、神の国はついに、世のあらゆる帝国の上に立って治めています。神の民はついに赦され、永遠のいのちを与えられたのです。

ご自分の目で確かめてみましょう

聖霊が、歴史のすべてを知り、支配しておられる神を見る目を開いてくださるように。そして、私たちの追放を終わらせ、七十かける七回赦してくださった方として、イエスを見ることができますように。

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