ここで何が起こっているのでしょうか
使徒パウロは、イエスに従う人たちに驚くべき約束を次々と語ってきました。クリスチャンには、もはや責められることも罪に定められることもありません。罪と死から解放され、神の御霊によっていのちの王国へと移されたのです。イエスを信じる人はだれでも神の子とされ、永遠に神とともに生きます(ローマ人への手紙 8:1〜16)。ところがパウロは同時に、神の子どもたちはみな、イエスがそうであったように苦しみを受けるとも語ります(ローマ人への手紙 8:17)。これは矛盾のように思えるかもしれません。永遠に神の子とされ、死から解放された者が、どうしてなお死ぬのでしょうか。
この難しい問いにパウロは、今の苦しみを、イエスの復活によってイエスに従うすべての人に確保された栄光の未来と比べることで答えます。やがて人類は朽ちた状態から救い出され、私たちの体は永遠に生きるようになります。パウロは、創造された世界そのものがこの来たるべき栄光を待ち望み、切に待ちこがれているとまで語ります(ローマ人への手紙 8:18〜19)。人間と同じように、この地球も朽ち、死に向かっています。神の介入がなければ混乱へと落ち込んでいくほかないことを、創造されたすべてのものが知っているのです。新しいいのちを産み出そうとしている母親のように、大地はうめきながらその日を待っています。神の子どもたちが、二度と苦しむことのない贖われた体で永遠のいのちを受け、創造主であり父である方とともに永遠に生きる、その日をです(ローマ人への手紙 8:19〜23)。神の子どもたちが苦しみ、死ぬというのは矛盾のように見えても、実はそうではありません。今受けている苦しみは、回復された大地の上で贖われた体をもって生きる永遠のいのちという現実に比べれば、取るに足りないものなのです(ローマ人への手紙 8:24〜25)。
パウロはさらに、約束された未来だけでなく、苦しみのただ中で聖霊が助けてくださると語ります。イエスを死者の中からよみがえらせたその同じ御霊が、苦しみの中にあるイエスに従うすべての人のために祈ってくださるのです。しかも御霊は、神が子どもたちに対して抱いておられる御心を完全に知っておられるのですから、忍耐と罪の贖いと復活を求める御霊の祈りは必ず聞かれると確信できます(ローマ人への手紙 8:26〜27)。そして神は約束されたことすべてを成し遂げる力をお持ちですから、私たちの苦しみさえも含め、すべてのことを私たちの益となるように導いてくださるとわかります。神の力によって、私たちは神の力と栄光、そして復活のいのちを永遠に味わうのです(ローマ人への手紙 8:28〜30)。
福音はどこにあるのでしょうか
私たちはしばしば、苦しみは神のご計画を妨げるものであり、自分が思い描く神のあり方と相いれないものだと考えてしまいます。けれども、イエスが死者の中からよみがえられたことが真実であるなら、苦しみは神の約束を脅かすものではありません。神がご自分の初子であるイエスを与えてくださったとき、神は、ほかの子どもたちへの約束が実現するためにはどんな代価も惜しまない方であることを示されたのです(ローマ人への手紙 8:31〜32)。パウロはこう言います。「神が私たちの味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。」神が私たちをご自分の子どもと宣言され、イエスが死者の中からよみがえられ、聖霊が私たちのために祈っておられるのなら、父なる神の永遠の愛といのちを味わうことを妨げるものは何もありません(ローマ人への手紙 8:33〜35)。苦しみを前にするとひるんでしまいますが、パウロは、神の力より強い苦しみなど存在しないと語ります。悪霊も天使も、過去の力も今の力も、死さえも、父の愛から、そして希望のうちに苦しむすべての者をよみがえらせようとされるそのご意志から、私たちを引き離すことはできないのです(ローマ人への手紙 8:36〜39)。
神は、永遠のいのち、復活の力、そして父としての愛という受け継ぐべき財産を、すべての子どもたちのために備えておられます。けれども、あらゆる相続と同じように、私たちはそれを受け取る時を待たなければなりません。その間には苦しみや反対、さらには死さえも予想しておくべきでしょう。それでも、そのどれをも恐れる必要はありません。私たちの未来は確かなのです。聖霊が私たちに代わって祈ってくださっています。イエスは死んでよみがえられました。そして神ご自身が、私たちの復活を計画しておられるのです。
ご自身で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、私たちの父である神をはっきりと見ることができますようにお祈りします。そして、その死と復活によって、神とともに生きる永遠のいのちを約束してくださったイエスを、仰ぎ見ることができますように。

