何が起こっているのでしょうか
ローマ人への手紙の最初の四章で、パウロは、人間が自分を造り、いのちを与えてくださった神を拒んだことを説明しています。その結果、神は人間を、彼ら自身が選んだ死に引き渡すという形で怒りを現されました。神が人間を死に引き渡されるとき、それは必ず、自らを滅ぼしていく生き方や、自分と他者のからだをおとしめる行いとなって、あふれるほどの不義として現れます。しかし神は、怒りと私たちの不義を明らかにされただけではありません。イエスの死と復活において、ご自身の義を現してくださったのです。イエスの死は、人間を不義から清める犠牲であり、その復活は、私たちが引き渡されていた死を覆し、イエスに信頼するすべての人を、かつて自分が拒んだ創造主との正しい関係に永遠に置いてくださいました。だからこそ、私たちは義とされたのだとパウロは語ります。しかもパウロにとって、義とされることは、すでに成し遂げられた事実であるだけでなく、栄光に満ちた未来への希望を与えるものでもあります。続く数章で、パウロは信仰によって義とされた人々に属する希望について語っていきます。
イエスの死と復活があるからこそ、私たちは「神の栄光にあずかる希望」を確信できると、パウロは言います(ローマ人への手紙 5:1〜2)。手紙の前の部分でパウロは、人間は神の栄光に届かなかったと述べていました(ローマ人への手紙 3:23)。パウロにとって「栄光」は二つのことを意味します。第一に、それは神の完全な力、愛、正義、そして善さを指します。第二に、それは人間が本来そうあるべき姿を指します。人間は神の栄光にあずかり、神に似た者となるように造られたのです。イエスによって義とされた今、人間が自分の神に似た者となり、その栄光を経験することは保証されているとパウロは言います。苦しみの中にあっても、イエスに従う者はこの希望を持っています。イエスが苦しみ、死に、そしてよみがえられたからこそ、信じる者はみな、自分の苦しみと死が復活と栄光を生み出すという希望を持てるのです(ローマ人への手紙 5:3〜5)。私たちがこれを特別に確信できるのは、イエスが、ご自身の民がまだ不義であったときに彼らのために死んでくださったからです。イエスが不義な者のために死ぬことさえいとわれなかったのなら、私たちが神の永遠の栄光にあずかることは、なおさら確かなことです(ローマ人への手紙 5:9〜11)。
続いてパウロは、なぜ私たちが神の栄光に加えられると確信できるのかを説明します。人間はかつて、父祖アダムと、彼が世にもたらした死に縛られていました。しかし今、私たちはそれよりも力強く、イエスと、イエスが私たちのために確かなものとしてくださった復活に結ばれているのです。アダムは全人類の父でしたが、神とその律法を拒みました。その結果、神はアダムとその子孫を、彼ら自身が選んだ不義と死に引き渡されました(ローマ人への手紙 5:12〜14)。これがパウロが手紙の冒頭で語っていたことです。しかし、神がイエスにおいてなさったことは、アダムが行った悪よりもはるかに大きいのです。一人の人の不従順によって、人類は罪に定められました。しかしイエスのいのちと死という賜物によって、人類の不義は赦されうるのです(ローマ人への手紙 5:15〜16)。アダムの行いによって死が人類を支配し始めたのに対し、イエスの行いによって復活のいのちが支配し始めました(ローマ人への手紙 5:17)。アダムの行いは世界をあまねく罪に定めましたが、イエスの行いは、イエスを信じるすべての人に対する神の約束を確かなものとしたのです(ローマ人への手紙 5:18〜19)。イエスがなさったことはアダムが行ったことよりも大きいので、イエスに信頼する人はだれでも、神の未来の栄光に加えられることを確信できるのです。
福音はどこにあるのでしょうか
アダム以来、すべての人は不義の力と死の呪いのもとに閉じ込められてきました。しかしイエスの死はその呪いを覆し、神の命令に背こうとする私たちの傾きから解放してくださいました。イエスのゆえに、私たちは神との正しい関係を得ただけでなく、神との平和のうちに置かれています。もはや神の敵ではなく、その友なのです。イエスへの信仰によって、私たちは創造主との調和のある関係を与えられました。そして友のように、神は積極的に私たちの益と豊かな成長を求めてくださいます。パウロはこれを、神の恵みを絶えず経験することだと言います。本来私たちが受けるべきものとは正反対の恵みによって、イエスは、私たちが引き渡されていた不義と死から救い出してくださいました。そして今、その同じ恵みが、私たちを励まし、助け、神が本来造ろうとされた栄光に満ちた人間へと変えていくために、私たちの人生に働き続ける力となるのです。逆説的なことに、アダムの行いによって人類の歴史を通して不義と死が増し加わったにもかかわらず、それはかえって神の恵みと栄光を際立たせる結果となりました(ローマ人への手紙 8:20)。アダムにある者はみな死に縛られていましたが、イエスにある者はみな今、神の恵みと永遠のいのちに結ばれています(ローマ人への手紙 8:21)。イエスを信じる人はだれでも、イエスの死と復活に結び合わされます。イエスの物語が私たちの物語となり、私たちは永遠に神の栄光にあずかるのです。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、ご自身の民を救われる神を見ることができるよう祈ります。そして、神の栄光のうちに私たちの未来を確かなものとしてくださった方として、イエスを仰ぐことができますように。

