何が起こっているのでしょうか
使徒パウロは、この二十年間、アジヤ地方とローマ帝国の東部一帯で福音を語り続けてきました。今はスペインへ向かう途上にあり、その途中でローマに立ち寄る計画を立てています(ローマ人への手紙 15:23〜24)。ローマは、世界を支配するローマ帝国の中心地でした。少し前、皇帝クラウデオはすべてのユダヤ人を首都から追放しました。おそらくイエスをめぐる騒動が原因でしたが、数年後にはその決定を撤回しています(使徒の働き 18:1〜2)。そのためローマでは、ユダヤ人のイエスの弟子たちと、ユダヤ人でない人々(異邦人)の弟子たちとの関係が、複雑なものになっていました。しかしパウロは、ユダヤ人でありながら何十年も異教徒の間で仕えてきた人です。手紙の中で、そしてやがて自分自身がローマに着いたときに、こうした緊張に向き合うことを心待ちにしていました(ローマ人への手紙 1:14〜15)。
手紙の冒頭の数節で、パウロは自分を、旧約聖書で語られてきた良い知らせを伝える使者として紹介します。その良い知らせとは、神がイスラエルの王ダビデに約束された永遠の御国が、すでに到来したということです(サムエル記Ⅱ 7章)。イスラエルの王ダビデの子孫がついに生まれただけでなく、その方は死に、死からよみがえり、今やあらゆる帝国と国民の上にある王座に着いておられるのです(ローマ人への手紙 1:1〜4)。この王の名はイエスであり、この方が直接パウロを任命し、イスラエルの王が高く上げられたという良い知らせを、ユダヤ人でない人々の世界に告げ知らせるようにされました(ローマ人への手紙 1:5〜7)。ローマとスペインは異教徒の世界の最前線を表しています。パウロは訪問を心待ちにし、温かい歓迎を期待しています(ローマ人への手紙 1:8〜13)。
続いてパウロは、この手紙全体の主題――福音――を要約します。「福音」という言葉は、皇帝の誕生や即位、勝利を告げるときに用いられたローマの言葉でした。しかしパウロにとって福音とは、王イエスが死に勝利されたことによって、新しい世界の王が戴冠され、ユダヤ人であれ異邦人であれ、すべての人がその永遠の御国に加えられる、ということでした(ローマ人への手紙 1:16〜17)。とりわけパウロは、イエスの死と復活において「神の義が示された」と語ります。「神の義」という言い方は、ヘブライ語聖書では、神がご自分の民を救い出し、不正を正し、悪を打ち破り、民のために正義と公平の王国を築いてくださることを指しています(詩篇 98:2、イザヤ書 51:5〜8)。ユダヤ人はこの御国の到来を何世紀も待ち続けていましたが、多くの人は、そこに加えられる道はユダヤ人であることだけだと考えていました。しかしパウロは、すべての人がイエスの福音を経験できるようにするのは信仰だと語ります。神の復活の力、死からの救い出し、そしてその御国は、イエスが死からよみがえり、すべての王と支配者にまさる王であると信仰によって認めるすべての人に開かれているのです(ローマ人への手紙 3:22〜24)。
福音はどこにあるのでしょうか
パウロはこの手紙の後半で、ここで取り上げたすべての問題をさらに詳しく掘り下げていきます。ここではただ、待ち望まれていたダビデの子であるイエスにおいて、旧約聖書の希望が実現したのだと語っているのです。正義と義に満ちた神の永遠の国が、ついに地上に築かれつつあります。この手紙がローマに送られたことには、大きな意味があります。ローマは当時の超大国であり、暴力と死によって世界を支配していました。さらに言えば、イエスを苦しめ、処刑したのはローマの兵士たちでした(マタイの福音書 27:27〜30)。けれどもパウロは、ローマの力など神の前では比べるべくもないと、はっきり語ります。イエスは死からよみがえり、今や世界の王として治めておられるのです(マタイの福音書 28:5〜7、18)。神の国はすでに始まりました。その義と救いは、すべての人に開かれています。やがてあらゆる不正は正され、悪は打ち破られ、正義と義に満ちた神の国が永遠に立てられるのです。
パウロが何千年も前にローマのクリスチャンたちに語った良い知らせは、今の私たちに必要な良い知らせと同じものです。世界の国々は、腐敗した帝国、避けられない死、悪しき指導者たちに苦しめられています。それでもなお、イエスは死からよみがえられました。イエスは、どのような立法機関よりも、また肉体の死よりも、ご自分が偉大で力ある方であることを証明されたのです。ですから、この方こそ死からよみがえられた真の地の王であると認めてひざまずくなら、私たちはこの世の力に対するイエスの勝利にあずかり、その永遠の御国に入るのです(ローマ人への手紙 10:9)。
ご自身で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださって、ヘブライ語聖書の希望を実現してくださった神を見ることができますよう、祈っています。そして、ユダヤ人もユダヤ人でない人々も、ともにご自分の永遠の御国へと招いてくださる方として、イエスを仰ぐことができますように。

