ここで何が起こっているのでしょうか
パウロはローマ人への手紙の最初の八章を費やして、神が旧約聖書でイスラエルに与えられた約束のすべてが、イエスを信じる信仰によってユダヤ人以外の人々にも与えられていることを説明してきました。ところが、ユダヤ人以外の世界がイエスのメッセージを受け入れ始める一方で、パウロと同胞である多くのユダヤ人はそれを拒んでしまいました。中には、神がユダヤ人以外の人々を含められたことで、ユダヤ人への約束を破られたのではないかと考える人さえいます。しかしパウロは、決してそうではないと言います。神の約束は、初めからユダヤ人だけのものではありませんでした。アブラハム以来、神の計画は世界を祝福することだったのです(ローマ人への手紙 9:6〜9)。ユダヤ人以外の人々がついに神の約束を味わっているのは、神が約束を破られたからではなく、彼らがイスラエルが本来そうあるべきだったように神に信頼しているからなのです(ローマ人への手紙 9:30〜31)。
神はイスラエルに、ご自身を信頼してほしいと願っておられました。しかしイスラエルは神を信頼せず、何度も何度も自分自身を頼りにしてしまいます。神が誠実であるからこそ約束を果たしてくださると信じるのではなく、自分たちの努力に目を向けたのです(ローマ人への手紙 9:33〜10:4)。自分の善い行いによって神の前で良い立場を得られ、神に約束を守る義務を負わせられると考えていました(ローマ人への手紙 9:31〜32)。はるか昔、申命記の中で、神はご自分の民に、祝福の約束を受け取るのは行いによるのではなく、告白と信仰によることだと語っておられました(ローマ人への手紙 10:5〜8、申命記 30:14)。ですから、ユダヤ人であろうとなかろうと、イエスを信じ、この方こそ自分の神であると告白する人には、神が約束されたすべてが与えられるのです(ローマ人への手紙 10:9〜13)。ユダヤ人の聖書全体を通して、神の約束を解き放つのはいつも信仰であって、神の民の努力や従順ではありませんでした。
神はイスラエルを忘れてはおられません。むしろ、イエスに信頼することによって真のイスラエル人となるよう、すべての人を招いておられるのです。ユダヤ人以外の世界は、イスラエルが本来そうすべきであった仕方ですでに応答しています。そこでパウロは同胞のユダヤ人たちに、神との取引のような関係を捨て、先祖の信仰を取り戻してほしいと切に願います。神はご自分の民へのすべての約束を、イエスにおいて成し遂げられたのです(ローマ人への手紙 10:14〜21)。さらにパウロは、イエスを信じるユダヤ人である自分自身こそ、神がイスラエルへの約束を放棄されたのではなく、今も守り続けておられる証拠だと語ります(ローマ人への手紙 11:1〜6)。今のところ、イスラエル人の大半はイエスを拒み、その結果、神が民に与えられた約束の外に本当に置かれています(ローマ人への手紙 11:7〜10)。けれども、これは永続する状態ではありません(ローマ人への手紙 11:11〜12)。パウロは、ユダヤ人以外の人々が神の約束にあずかることが、ユダヤ人の兄弟姉妹たちにねたみを起こさせ、彼らを先祖の信仰へと立ち返らせることになると信じています(ローマ人への手紙 11:13〜16)。多くのユダヤ人が今は神の約束の外にいるとしても、神はご自分の民への約束を忘れてはおられないとパウロは強く主張し、彼らが将来悔い改めて信仰に至ることを希望をもって待ち望んでいるのです。
福音はどこにあるのでしょうか
パウロは、世界がイスラエルの神を信仰によって受け入れたのだから、やがて世界中のユダヤ人もその後に続くようになると希望を抱いています。しかし同時に、イスラエルの歴史における今の自分たちの立場を見て異教徒が霊的な高慢に陥らないよう、すぐに注意を促します。オリーブの木のたとえを用いて、ユダヤ人以外の読者たちに、あなたがたはイスラエルの神への信仰という古い幹に接ぎ木された野生の枝のようなものだと語るのです(ローマ人への手紙 11:17〜18)。確かに神は、信じない枝を切り落として彼らのために場所を作られました。しかしそれは誇る理由にはなりません。もし神が元からの枝を取り除かれたのなら、後から接がれた枝を切り落とすことも当然おできになります。ユダヤ人以外の人々は、自分たちがユダヤ人の聖徒たちの肩の上に立っているだけでなく、イスラエルの神への信仰によってのみ神の家系の一部にとどまり続けられるのだと、へりくだって認めなければなりません(ローマ人への手紙 11:19〜24)。
続けてパウロは、ユダヤ人も異教徒も理解しなければならない大きな奥義が働いていると語ります。神がすべての人に慈悲を示すことができる唯一の道は、すべての人が神を拒むことなのです(ローマ人への手紙 11:32)。初め、異邦人の世界は神を拒みました。しかし神は、世界の他の人々が神の約束を受け取れるようにと、ユダヤ人を選ばれました(創世記 12:1〜3)。ところが今、ユダヤ人の世界が神を拒んでいるので、神はユダヤ人の信者たちが先祖の約束へと立ち返るための手立てとして、ユダヤ人以外の人々を選ばれたのです。神は不思議な仕方で、ユダヤ人とユダヤ人以外の人々の双方の不従順を覆し、神の民のすべてが神の約束と家族に含まれるようにしておられます(ローマ人への手紙 11:25〜27)。ユダヤ人がイエスを信じないことは、神が民に与えられた約束への脅威ではありません。まさにその逆なのです。不従順こそ、神がご自分の民に、彼らの行いによらず、ただご自身の慈悲によって、約束されたすべてをついに与えることのできる唯一の道なのです(ローマ人への手紙 11:28〜32)。そしてパウロはこの議論を、神が頑なな拒絶や不従順さえも含めてすべてを用いて、世界への約束を守り通されることを賛美する歌で締めくくります(ローマ人への手紙 11:33〜36)。
アブラハムから私たち一人一人に至るまで、神の民の歴史はまるごと、神が慈悲によって悪を覆してこられた物語です。もし神に背き、神を拒んだことがあるなら……それは幸いなことです。神の慈悲を味わうのに、これ以上ふさわしい場所はないのですから。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊が私たちの目を開き、約束を守られる神を見せてくださるよう祈ります。そして、イエスこそ、ご自分を信じるすべての人のために神の約束を実現してくださった方だと見ることができますように。

