何が起こっているのでしょうか
使徒の働き 13章から、この書の第二部、そして最後の部分が始まります。第一部の主要なテーマが繰り返されますが、今度は焦点がサウルの異教徒への宣教に置かれています。
エルサレムでのペテロの働きは、マッテヤが選ばれ、聖霊が臨まれたところから始まりました(使徒の働き 1:26、2:4)。同じように、サウルの宣教の旅も、アンティオキアの教会が聖霊によってサウルとバルナバを選び出したところから始まります(使徒の働き 13:2)。
ピリポとペテロが使徒の働き 8章で異教の魔術師の影響に打ち勝ったように、サウルも同じことをして、使徒たちの姿を映し出しています(使徒の働き 13:8〜10)。著者は、ユダヤ人の名であるサウルが、ローマ・ギリシア風の名であるパウロとも呼ばれていたと記すことで、諸国の民へと向かうこの転換を際立たせています(使徒の働き 13:9)。
ペテロやステパノと同じように、パウロも長い説教をして、イエスが約束されたメシアとして聖書のことばを成就させた方であることを示します(使徒の働き 17:2〜3、2:30、7:52)。神がイスラエルの歴史を通してどれほど誠実であり続けたか、そして今、イエスによってユダヤ人にも異教徒にも救いをもたらしておられることを、説き明かすのです(使徒の働き 13:17、26)。このメッセージは、使徒の働きの残りの部分で語られる福音の提示のひな型となっています。
エルサレムでのペテロのメッセージと同じように、はじめは多くのユダヤ人が信じます。しかし反対する者たちもいて、パウロとバルナバを迫害までし、二人はついにその地方を去ることになります(使徒の働き 13:43〜45、50)。
この宣教と迫害のくり返しは 14章でも続き、パウロはイコニオム、リステラ、デルベを巡っていきます(使徒の働き 14:19)。異教徒たちは信じますが、ユダヤ人の信仰からあまりにも遠く離れていたため、パウロとバルナバをギリシアの神々として賛美するほどでした(使徒の働き 14:12)。しかしここでも繰り返し、ユダヤ人が教会に対して騒ぎを引き起こします(使徒の働き 14:19)。
福音はどこにあるのでしょうか
神の使命は、その御国が地の果てにまで及ぶまで完成しない、ということがはっきり分かります。使徒の働き 13章で、パウロはイザヤ書 49:6を引用します。そこには、主のしもべが異教徒を照らす光となり、地の果てまで救いをもたらすと語られています(使徒の働き 13:47)。教会がイエスの知らせをエルサレムから諸国の民へと運んでいく中で、まさにこのことが実現していくのを私たちは見るのです。
ルカの福音書の初めでは、神殿にいたシメオンという公正な人が、幼子であるイエスを見て、この預言の成就として「異教徒を照らす光」と呼びました(ルカの福音書 2:32)。
イエスは、すべての国の民が神のもとに来る道を開くことによって、神のしもべとしての務めを果たされます。それは、モーセの律法に従うことによってではなく、ご自身の死と復活によって罪の赦しを与えることによってでした(使徒の働き 13:38〜39)。
そして今、パウロとバルナバは、イエスにある永遠のいのちの知らせを世界へと運びながら、イザヤ書が語るしもべの役割を担い続けています(使徒の働き 13:47〜48)。
同じことは、今日の私たちにも言えます。神のしもべイエスの良い知らせが私たちに届き、私たちを救っただけではありません。世界に対する神のご計画が成就していくその働きに、私たちも加えていただけるのです。私たちは神のしもべとして、暗い世界に福音の光を運んでいきます(マタイの福音書 5:14)。
ご自分の目で見てみましょう
人類の歴史全体を通して働き、すべての国の民をご自身と和解させようとしてこられた神を見る目を、聖霊が開いてくださるよう祈ります。そして、約束されたしもべであるイエス――私たちの代わりに死に、墓からよみがえり、良い知らせを口にする者として私たちを世界へ遣わしてくださる方――を、はっきりと見ることができますように。

