はじめに
毎年、教会はイエスの昇天に続く十日間を、祈りのうちに過ごします。その期間、弟子たちは五旬節に与えられる約束の賜物、聖霊を待ち望んでいました。今、私たちも彼らと共に待つことを学び、聖霊の新しくする働きを慕い求めながら、聖書に流れる一つのパターンをたどります。神は昇って王として治め、人々を聖霊で満たして、ご自身と共に治めさせてくださるのです。
これまで私たちは、神の民が共に集まって祈り、イエスが約束された賜物を待ち望む姿を見てきました。また、聖霊が風と炎のうちに下り、その聖い臨在で彼らを満たし、地上においてイエスの臨在を身をもって現す新しい人類として造り直してくださった様子も見てきました。今、イエスが王座に着いておられる中で、神はバベルでの散らしを逆転させ、御国を全世界へともたらされます。
新しい御国によって逆転されるバベル
屋上の間で聖霊が弟子たちを満たしたとき、炎の柱は、神の聖い臨在が人の内に住まわれるようになったことを示していました。こうしてイエスに従う者たちは、初めから意図されていたとおり、まことの神の真のかたちとなります。そして聖霊は、神の子とされたこの男女に力を与え、イエスの昇天にあずからせます。彼らはさまざまな言語で語り、かつてバベルの塔から散らされたすべての国々に、イエスこそ王であると宣べ伝えるのです。
二日目に見たように、塔の建設は「反・昇天」とも言うべき出来事であり、対抗する王国のために天の力を奪い取ろうとする反逆の試みでした。それに対して神は、人々の言語を混乱させて諸国民を分けられました。今、使徒たちはそれぞれの国の言葉で、諸国民を神のもとへと呼び戻しています。バベルでは、反逆する諸国民が対抗する神々のもとに分け与えられました。五旬節では、その諸国民が神の子イエスの王としての支配のもとへと連れ戻されるのです。
出エジプト記における五旬節
弟子たちの時代、ユダヤ人が五旬節を祝った理由の一つは、抑圧的な勢力の奴隷状態から救い出された後、神がさまざまな民の入り混じった群衆をシナイ山に集めてくださったことを覚えるためでした。そこで彼らは、神が彼らをご自分の民として宣言し、一つの王国としてくださるのを聞いたのです。今、使徒の働きでは、もう一つの入り混じった群衆がエルサレムの山に集められ、あらゆる言語で御国の宣言を聞きます。すなわち、王座に着かれた王イエスが、対抗する諸勢力を打ち破り、すべての国民をご自分のものと宣言しておられる、という知らせです(使徒の働き 2:6)。
神の国における諸国民
シナイ山で入り混じった群衆が神の選びの民とされたように、今や神はすべての国民をご自分のものとして取り戻されました。五旬節の場に居合わせた多くの国の人々を通して、イエスの支配はエルサレムから地上のあらゆる国へと広がっていきます(使徒の働き 2:7-11)。イエスの統治のもと、使徒たちの宣言を通して、かつて対抗する神々の下で抑圧に苦しんでいた諸国民が、平和の御国へと迎え入れられます。互いの戦いと神への反逆によって分断されていた彼らが、赦しの御国へと招き入れられるのです。イエスの王としての支配と、聖霊に満たされたその教会は、癒やしの器となります。それは一つの民、一つの言語のためだけでなく、あらゆる民、あらゆる言語のためなのです。
祈りの導き
すべての国民を神のもとへ連れ戻しておられる、昇天された王イエスが教会に教えてくださったとおりに、今、共に祈りましょう。
天におられる私たちの父よ。
御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人を赦しました。
私たちを誘惑に会わせず、
悪からお救いください。
国と力と栄えは、限りなくあなたのものだからです。
アーメン。
