3日目

昇天――天国の王座に着く人間?

昇天とは、イエスが去って行かれた出来事ではなく、私たちが到達した出来事だとしたら、どうでしょうか。

ルカの福音書 24:45-53、使徒の働き 1:1-11

はじめに

毎年、教会はイエスの昇天に続く十日間を祈りのうちに過ごします。その間、弟子たちは五旬節に与えられる約束の賜物、聖霊を待ち望んでいました。今、私たちも彼らと共に待つことを学び、聖霊の新しくしてくださるみわざを慕い求めながら、聖書に流れる一つのパターンをたどっていきます。すなわち、神は昇って統べ治め、人々を聖霊で満たし、ご自分と共に治める者としてくださるのです。

このパターンは創世記にすでに見てきました。神は人をちりから形づくり、神の霊で満たし、それから創造の第七日に王としての安息へと昇られました。しかし、闇の霊的な力はこのパターンを模倣し、ゆがめて、偽りの王国を造り出します。神の子らの反逆における偽りの満たし、そしてバベルの塔における偽りの即位です。今、この物語はイエスにおいて真の成就を迎えます。イエスはあらゆる神々の上に昇り、ご自分の民を神の霊で満たすと約束してくださるのです。

王座に着く神であり人である方

初めに、神は人を、ご自分と共に被造物を治め、世界を神のかたちで満たす者として創造されました。ところが人は、それとは逆に、敵対する王国に、世界を死と滅びへと引き寄せる反逆の霊たちに忠誠を誓ってしまいました。それでも神は慈悲をもって、ご自分のかたちを救い出し、回復すると約束されたのです。人は霊的な力に奴隷とされ、神の豊かないのちと似姿で地を満たすという招きから引き離され、腐敗していました。そこで神は人となって来られ、反逆する力から人を解放し、神と共に治める者という本来の役割へと回復してくださいました。人が完全に神のようになるために、神が完全に人となられたのです。

神の子イエスは、人の子として来られ、ご自分の民を奴隷としていた敵対する神の子らを打ち破られました。イエスは悪の支配を打ち砕き、死んで墓からよみがえることによって、死そのものに勝利されたのです。復活の後、イエスは弟子たちに現れ、聖書のすべてがこの成就を指し示していたと語られました(ルカの福音書 24:44-47)。聖書の最初のページから、神はご自分の民と共に治め、彼らをご自分のいのちで満たすことを願っておられました。今、イエスにおいて、神は悪と死の力に勝利されたのです。よみがえられたイエスのからだこそ、その勝利の証拠です。その復活において、人は自由にされました。その昇天において、敵対する力は王座から引きずり降ろされました。イエスは、諸国の民を神のもとに取り戻すためによみがえられたのです。

今、昇天して統べ治めておられるキリストを通して、人は本来創造された通りに、神と共に被造物を治めることができます。イエスを通して神が私たちのようになってくださったからこそ、私たちはキリストにあって神のようにされるのです(ヘブル人への手紙 2:10-18)。神であり人であるイエスがご自分の王座に昇られたからこそ、人は創造された目的――神と共に治めること――へと回復されるのです。

満たされるのを待つ

弟子たちは、イエスが天国に昇られたということは、自分たちがイエスと共に神の国を治めることを意味すると理解していました。しかしイエスは、聖霊に満たされるまで待つようにと言われました(使徒の働き 1:5-7)。彼らはイエスご自身のいのちと力にあずかることでその御国に加わり、そしてエルサレムから地の果てに至るまで、証人としてその御国を広げていくのです(使徒の働き 1:8)。彼らが証人として告げるのは、人の子が神の右に昇られたということ、そしてイエスにあって神が、聖霊に満たされた人間をご自分と共に治める者、ご自分のかたちとして回復しておられるということでした。しかし、そのためには神の霊を待つ必要があったのです。

イエスにあって人が天国の王座へと昇ったように、天国は聖霊によって地へと下り、王の民を満たします。神はイエスにおいて人の肉体をまとわれました。今度は、人の肉体が聖霊を通して神を宿すのです。

祈りの導き

聖い神の子であり、まことに昇天された人であるイエスが教えてくださったとおりに、私たちも祈りをもって応えましょう。

天にいます私たちの父よ。

御名があがめられますように。

御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。

私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。

私たちの負い目をお赦しください。

私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。

私たちを誘惑に会わせないで、

悪からお救いください。

国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。

アーメン。

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