はじめに
毎年、教会はイエスの昇天に続く10日間を、祈りをもって過ごします。その間、弟子たちは五旬節に与えられる約束の聖霊の賜物を待ち望んでいました。私たちも今、彼らとともに待つことを学び、聖霊による刷新のみわざを慕い求めながら、聖書に流れる一つのパターンをたどっています。すなわち、神は王座に上って治め、人々を聖霊で満たして、ご自分とともに治めさせてくださる、というパターンです。
これまで私たちは、神の最初の即位と、人が最初に聖霊に満たされた出来事を見てきました。また、偽りの王国の反逆――神の子らによる「満たしの裏返し」と、バベルの塔という「即位の裏返し」――も目にしてきました。神であり人であるイエスが、あらゆる力の上にある王座へと上られる歩みを追い、さらにマリアとともに座って、待ち望みと祈りという静かな姿勢を学びました。
そして今、使徒の働きは、地上におけるイエスの御国の姿を明らかにします。聖霊が下る前に、王座に着かれた王イエスは、治める者たちを集め、ご自分の統治にあずかる備えをさせておられるのです。
新しい御国を治める者たち
使徒の働きによれば、イエスに従う者たち約120人が一つに集まっていました(使徒の働き 1:15)。この数は、イスラエルの形成を響かせています。12はイスラエルの部族の数であり、神の支配のもとにある民全体を表します。ここではその12が掛け合わされ、満ちた数とされています。「12の10倍」が、満たされるために10日間待っているのです。この120人こそ、新しくされたイスラエルの始まり、内側から造り変えられていく御国の始まりでした。
集まった人々の中には、残された11人の使徒がいました(使徒の働き 1:13)。イエスが12人を選ばれたのは、イスラエルを回復しつつあることのしるしでした。12人の使徒は、王の証人となり、神の民に対する王の統治にあずかるはずだったのです。しかし、一つの席が空いています。
ユダ――敗北した敵と、空いた席
ペテロが立ち上がり、その欠けをはっきりと口にします。12人の一人であったユダは、王を裏切る者となりました。そしてイエスを売って得た金で買った畑で、無残な死を遂げたのです。ペテロは、このユダの悲劇的な転落を詩篇を通して読み解き、敵が取り除かれたあとに残る空席について聖書が語っていることを指し示します。さらに聖書は、その務めがほかの者に与えられるとも語っています(使徒の働き 1:20、詩篇 69:25、詩篇 109:8)。敵がその座をいつまでも保ち続けることはありません。敵が打ち負かされるとき、空いた王座は満たされるのです。
これはユダだけの話ではなく、私たち人間すべての話でもあります。初めに、私たちは敵の支配のもとに落ちました。けれどもイエスは、その支配に真っ向から立ち向かってくださり、人としての招きを回復してくださいました。12人の中に空いたこの席は、宇宙規模の大逆転をのぞく窓となります。神は失われたものを取り戻し、壊れたものを回復し、空いたところを満たしておられるのです。
くじと、御国の割り当て
続いてペテロは、ユダに代わる者の条件を語ります。イエスの働きの初めからともにいて、その復活を目撃し、天の王座への昇天を証言できる人です(使徒の働き 1:21-22)。使徒の権威は、イエスのそば近くにいたことに根ざし、イエスの話によって形づくられ、復活のイエスの証人であることによって整えられていきます。
二人の候補が立てられ、集まった人々は祈ります(使徒の働き 1:23-25)。御国において座を割り当てることがおできになるのは王だけである、と告白したのです。そしてくじを引くと、くじはマッテヤに当たりました(使徒の働き 1:26)。
くじは、イスラエルの歩みに深く結びついています。神がイスラエルにカナンの地をお与えになったとき、相続地はくじによって分けられました。民のまことの王として、神ご自身が一つ一つの割り当てを定められたのです。くじを引くことは、相続地を定めるのは神ご自身だという信頼の表明でした(民数記 26:55-56、ヨシュア記 14:2)。
ですから、昇天と五旬節のあいだのこの日々に、使徒たちは、キリストのもとで自分たちとともに治める者はだれかを知るために、くじを引いたのです。王の統治をともに告げ知らせるにふさわしい人を、神が選んでくださる――そう信じての行いでした。
私たちはひとりで待つのではありません
教会は、使徒たちの証しという土台の上に建てられています。イエスとともに歩み、その復活を目撃し、神の民を導くために任命された人々に委ねられたメッセージ、その上に立っているのです(エペソ人への手紙 2:20)。彼らの証言は、時代を超えて教会の信仰をしっかりとつなぎ止めます。その教えは、教会がどのように待ち望むかを形づくります。そしてその権威は、私たちが受け取る御国が自分たちの考え出したものではなく、王座に着かれた王からの賜物であることを確かにしてくれます。
ですから、私たちはひとりで待つのではありません。数えきれないほどの証人たちが、雲のように私たちを取り囲んでいます(ヘブル人への手紙 12:1)。私たちは王に自分自身を明け渡し、王がお選びになった方法で、その賜物を――使徒たちの導きという賜物も含めて――受け取るのです。
祈りへの導き
復活し、天に上られた王イエスが教えてくださったとおりに、今、使徒たちとともに祈りましょう。
天におられる私たちの父よ。
あなたの聖い御名が、あがめられますように。
あなたの御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人を赦しました。
私たちを誘惑に会わせないで、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。
