はじめに
毎年、教会はイエスの昇天に続く十日間を、祈りのうちに過ごします。あの日々、弟子たちは五旬節に与えられる約束の賜物、聖霊を待ち望んでいました。今、私たちも彼らと共に待つことを学びましょう。聖霊の新しくする働きを慕い求めながら、聖書に流れる一つのパターンをたどっていきます。すなわち、神は昇って王座に着き、人々を聖霊で満たして、ご自分と共に治めさせてくださるのです。
前回は、このパターンが聖書の最初のページに現れるのを見ました。神は語ることによって混沌の水を征服され、その御声は創造を秩序ある御国へと造り変えました。神は天の支配者たちを任命して日と季節をつかさどらせ、聖霊に満たされた人間には、神のいのちと御国を地上に広げる使命を託されました。そして神は王座に昇り、造られたすべてのものの上に王として安息されたのです。
今日、物語は暗転します。天と地の共同統治者たちが、世界を再び無秩序と混沌へと引き戻すのです。彼らの反逆は対抗する王国を打ち立て、そこには対抗する「満たし」と、対抗する「昇天」までもが備わっています。
巨人たち――対抗する満たし
創世記 1-2章で、神の霊は人間を、聖い王の生きたかたちとしました。しかし創世記 6章では、対抗する影響力が人間の中に入り込み、そのかたちを損なってしまいます。
創世記 6章で、反逆した霊たちは天の支配者としての立場を捨て、自分たちに似た、対抗するかたちを造り出そうとします。聖書は彼らを「神の子ら」と呼びます。彼らは地に降りて来て、神のかたちで世界を満たすようにという、人間に与えられた神の命令を奪い取ろうとしました。これらの霊は自分たちの破壊的な力で人間を満たし、暴虐な巨人たちを生ませます。その巨人たちは、神の聖い支配に敵対する、対抗する王国を地上に広げていきました(創世記 6:1-5)。
この反逆の王国が広がるにつれ、霊的な反逆に巻き込まれた人間は、創造のすべてを汚していきます。神はこの反逆が人間を堕落させ、世界を滅ぼしていくのをご覧になり、慈悲のゆえに、清めの洪水を送られました(創世記 6:11-13)。神は堕落した支配者たちの悪をさばき、清めの水で世界にバプテスマを授け、人間を救い出して、神のかたちで地を満たすようにと改めて任命されたのです(創世記 7:1-9:1)。
けれども、ノアの子孫が増え広がると、人々は再び悪霊の悪に加担していきます。霊的な諸勢力は人間をそそのかし、暴力の町々と反逆の文明を築かせ、ついには王座への、対抗する昇天へと行き着かせるのです(創世記 10:8-12)。
バベル――対抗する昇天
創世記 11章は、同じ言葉と同じ意図――すなわち反逆――を共有する人々の連合から始まります(創世記 11:3-4)。神に従って御国を広げる代わりに、人間は対抗する勢力と手を結び、神の支配に逆らいました。そして、神の御国に敵対する王国を治めるための王座に昇ろうとして、バベルの塔を建て始めるのです。
バベルの塔は、地から天へと至る階段として設計されていました。こうしてバベルは、対抗する勢力が天の門を突き破ろうと霊的にもくろみ、自分たちの昇天を試みる、対抗する王国の縮図としてそびえ立ちます。
しかし、ここでも神は介入されます。人であれ他の何であれ、造られたものの力が神の力と王座を脅かすことなど、ありえません。それでも神は、力を求めて反逆する人間の姿をご覧になり、彼らが自らを滅ぼしてしまわないように押しとどめられました(創世記 11:5-6)。慈悲のゆえに、神は彼らの言葉を混乱させ、全地に散らされたのです(創世記 11:7-9)。
これに続く聖書の物語が描くのは、対抗する神々の力に奴隷とされ、分裂した諸国民の世界です。それらの霊は対抗する王座に着き、諸国民を神のもとへ立ち返らせるどころか、神から引き離していきます(申命記 32:8)。創世記 6章に見られるような数々の異教の慣習を通して、対抗する神々は奴隷とした人間を暴力と抑圧と死で満たし、人間が本来の目的――聖霊に満たされ、神と共に治めること――を果たせないようにするのです。
なぜ新しい昇天と新しい満たしが必要なのでしょうか
創世記 6章の巨人たちの物語と、創世記 11章のバベルの塔の物語は、対抗する勢力の奴隷となり、この世界で神のかたちを映し出せなくなった人間の姿を示しています。ですから私たちには、神が対抗する勢力を王座から引きずり降ろし、もう一度人間を聖霊で満たしてくださることが必要なのです。そうしてこそ、私たちは神と共に治める者、神のかたちを映す者として仕えることができます。
それこそ、聖い神の子イエスが成し遂げてくださったことでした。イエスは神として、また人としてこの世に来られ、その死と復活によって、対抗する支配者たちの力を打ち破られたのです。イエスこそ、あらゆる勢力の上に昇り、神の右の座で治めておられる人です。天で王座に着かれるにあたり、イエスは弟子たちに、父が聖霊で満たしてくださるのを待つようにと告げられました。
使徒の働き 1章で弟子たちが待ち望んでいるのは、まさにこのことです。そして今、私たちも同じものを待つことを学んでいるのです。
祈りへの導き
聖い神の子であり、まことに昇天された人であるイエスが教えてくださったとおりに、祈りをもって応答しましょう。
天におられる私たちの父よ。
御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを誘惑に会わせないで、
悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。
