何が起こっているのでしょうか
コリントの教会は、異教徒が悪霊のことばを扱うのと同じやり方で、聖霊のことばを用いようとしていました。コリントの文化において、異教の宗教体験にはしばしば酩酊、乱れた宴、意味をなさないつぶやきが伴っていました。それらは霊に取りつかれたしるしと見なされ、霊的な存在が人の口を通してことばを発しているのだと考えられていたのです。こうしたしるしを示す人ほど、霊的に成熟していると見られていました。ところが今、神の霊が本当にコリントの信者たちの間で語っておられるにもかかわらず、彼らは自分たちの集まりも異教徒の集まりと同じ様子でよいと思い込んでしまいます。霊の賜物を用いて、神から聞いたことを互いにかぶせるように叫び、また異言と呼ばれる、理解できないことばを話していたのです。
パウロは、神のことばを伝える二つの霊の賜物、すなわち異言と預言の用い方を正そうとします。まず異言についてです。教会が建て上げられるためには、御霊に導かれたことばを話す人に、それを理解できるようにする通訳者が必要だと説明します(コリント人への手紙Ⅰ 14:6〜12)。ですから、話されているそのことばを理解する人が誰もいないなら、話す人はそのことばを自分と神との間にとどめ、ひそかに祈るべきなのです(コリント人への手紙Ⅰ 14:13〜17)。しかし通訳者がいるなら、通訳を通してすべての人がはっきり理解できるので、公の場でそのことばを語ってよいのです(コリント人への手紙Ⅰ 14:26〜28)。御霊の賜物は、教会を建て上げるために秩序をもって用いられるべきものなのです(コリント人への手紙Ⅰ 14:4〜5、26)。
一方で預言とは、聖霊が人々に神の声を聞かせ、神に代わって他の人に語らせてくださることです。御霊に導かれたこれらのことばは理解できるものですから、公の場で教会を建て上げるために用いられるべきです(コリント人への手紙Ⅰ 14:1、19)。とはいえパウロは、異言と同じように、この賜物についても秩序ある用い方を指示します。コリント人は勝手に語り出したり、自分の立場や評価を競い合ったりするのではなく、へりくだって静かに待ち、互いから神のことばを聞くべきなのです(コリント人への手紙Ⅰ 14:27〜31)。こうして秩序ある教会の集まりは、そこに集う人々をますますイエスに似た者へと成長させ、近隣の異教徒たちの無秩序な集まりからはますます遠ざけていくのです。
預言は理解できるので、公の場で用いるべきです。通訳のない異言は理解できないので、ひそかに用いるべきです(コリント人への手紙Ⅰ 14:2〜3)。パウロはコリントの状況を古代のイスラエルと比べます。イスラエルは、神の預言者イザヤを通して語られた御霊のことばに耳を傾けることを拒んだために、無秩序へと崩れていきました(イザヤ書 28:11〜12)。そこで神は、外国のことばを話すバビロンという国を通して、信じないイスラエルに語られたのです(コリント人への手紙Ⅰ 14:21)。イスラエルは預言者の理解できることばに耳を傾けて救われることもできたのに、外国から侵略してくる者たちの異国のことばの脅威のもとで滅ぼされてしまいました。パウロが言いたいのは、神の家における通訳のない異言は神の民を打ち壊しうるが、信じて受け取られる預言のことばは彼らを建て上げるということです。
何をひそかに語り、何を公に語るべきかという教えを続けながら、パウロは男性も女性もどのようにして秩序ある形で自分に語られた神のことばに従うことができるのかを論じます。周囲の文化では女性が公の場での教えから除外されることが多かったのに対し、パウロは公の場での預言や祈りにおける女性の役割を認めています(コリント人への手紙Ⅰ 11:5)。ただし公の場では、男性と同じように、女性も秩序をもって賜物を行使し、集まりを乱すことなく学び、参加するべきなのです。またひそかな場では、夫が妻を教え、その問いに答えることによって、妻もキリストのからだの中で建て上げられていくのです(コリント人への手紙Ⅰ 14:34〜35)。
福音はどこにあるのでしょうか
神のことばに耳を傾けるとき、神は私たちの人生に秩序をもたらしてくださいます。聞くことを拒むとき、無秩序と混乱が支配してしまいます。この真理は、聖書の最初のことばの中に見ることができます。初めに、まだ造られていない世界は無秩序と混乱のうちにありました。しかし神はみことばを語られました。御霊を通して秩序を生み出し、世界を建て上げられたのです(創世記 1:1〜3)。それから神は御霊を通して人に息を吹き込み、秩序を広げ、世界を建て上げるという務めをお与えになりました(創世記 1:27〜28)。ところが最初の人間は神のことばに聞くことを拒み、別の霊的存在の声に耳を傾けてしまいます。こうして、本来建て上げるはずだった世界に無秩序をもたらしてしまったのです。
これはコリント人の問題でもありました。彼らは教会における神の声を、異教徒が神殿で悪霊の声を扱うのと同じように扱っていたのです。しかしイエスは、その無秩序をくつがえし、彼らを建て上げるために、教会に御霊をお与えになりました。イエスが天に昇られた後、五旬節の日に、聖霊は最初の弟子たちが御霊に導かれたことばで語り、イエスについて預言することを可能にしてくださいました(使徒の働き 2:4)。御霊を通して、これらのことばはさまざまな言語を話す大勢の群衆に理解できるものとなりました(使徒の働き 2:6〜7)。こうして三千人が教会へと建て上げられたのです(使徒の働き 2:41)。御霊に満たされたこの諸国民の群れから、イエスについての神のことばが全地に広がっていきました。御霊を通して、創造の使命は今もこの世界でイエスのからだを建て上げ続けているのです。
ですから今、私たちも地域の教会において、御霊を通して神のことばを聞くことができます。このことばを互いに分かち合うとき、私たちはイエスに似たからだへと互いを建て上げていくのです(テサロニケ人への手紙Ⅰ 5:11、19〜20)。御霊のことばに満たされたキリストのからだとして、私たちは自分の周りの混乱した世界に秩序をもたらすイエスの働きに加えていただけるのです。御霊の賜物を通して御霊と共に働き、イエスについての良い知らせをすべての国民にもたらすことができます(使徒の働き 1:8)。神の霊は今、世界中の何千もの言語を通してキリストのからだを建て上げておられます。そのようにしてイエスは、無秩序と混乱の中から秩序と美しさを生み出しておられるのです。
ご自分の目で見てみましょう
混乱した世界に美しさと秩序をもたらす働きに、ご自分の民を加えてくださる神を見る目が、聖霊によって開かれますようにと祈ります。そして、その民の間に住まわれ、彼らを通して御国を世界中に広げてくださる方として、イエスを見ることができますように。

